2024年の大河ドラマは『光る君へ』、紫式部の一生を描くものです。
紫式部の実名ですが、はっきりはしていません。
定説ではありませんが「藤原香子(かおるこ)」だという説があります。
藤の花は紫色(”紫の上”)、父の職名が「式部」(正式名”藤原式部大夫為時”)。
そこから「紫式部」としました。
この「式部」という職名もそうですが、律令制時代の職名(官職)は、その後、武士、江戸時代には庶民にも通称として浸透しました。もちろん単なる通称としてであり、もはや、その名が表す仕事をしていたわけではありません。
忠臣蔵で有名な「浅野内匠頭(たくみのかみ)」の「内匠頭」、「大石内蔵助(くらのすけ)」の「内蔵助」も通称です。桜田門外の変で暗殺された「井伊直弼(いいなおすけ)」は「掃部守(かもんのかみ)」とよばれ、「掃部守」は通称です。
そこで、この堅苦しい官職を、八切止夫氏(小説家)が、分かりやすく、くだけて表現した文面があったので抜粋します。
職名 今でいうと
----------------- -----------------------
修理(しゅり):修繕係
内匠(たくみ):大工
采女(うねめ):野菜集め
主膳(しゅぜん):メインテーブル係
内膳(ないぜん):ボーイ
大膳(だいぜん):宴会係
大炊(おおい):コック
掃部(かもん);清浄係
主水(もんど):水くみ
帯刀(たてわき):クローク
兵庫(ひょうえ):キーパー
弾正(だんじょう):ガードマン
内蔵助(くらのすけ):倉庫番
縫殿(ぬいどの):仕立て係
雅樂(うた):バンドマン
大学(だいがく):筆耕
織部(おりべ):紡ぎ方
右近(うこん):右近の橘衛兵
左近(さこん):左近の桜衛兵
右兵衛(うひょうえ):右側警備兵
左兵衛(さひょうえ):左側警備兵
兵部(へいぶ):憲兵
中務(なかつかさ):事務
玄蕃(げんぱ):雑役
主計(かずえ):出納係
主税(ちから):税金取り
式部(しきぶ):式典係
主殿(しゅでん):整備係
(歴史読本 昭和52年1月号より)
※なお一部官職でない通称も載せています
]]>テレビ朝日『中居正広のキャスターな会』に情報提供しました。
2023年6月17日放送のマイナンバーカードの特集です。
現在、個人の紐づけが問題になっていますが、「さいとう」の「さい(齋)」の文字だけで59種類もあるという情報提供をしました。
放送では、ITジャーナリストの「三上 洋」さんが、そのフリップを使って説明していました。
なお番組では触れていませんが、
(チコちゃん出演のブログにも書きましたが)「わたなべ」の「なべ(邊)」も42種類あります。
「さいとう」の「とう」の方、いわゆる「ふじ(藤)」も36種類あります。
また名前の方(例えば寿夫や和寿など)で使われる「ことぶき、ひさ、とし(寿)」も47種類あります。
ほかにも、戸籍の誤字俗字は多数存在しています。
マイナンバーカードの個人の紐づけは困難を極めるでしょう。
]]>
なぜ「さいとう」の「さい」の文字が戸籍上59種類もあるのか、について解説しました。
番組では、象形文字でのベースとなる「齋藤」の由来も解説しました。
ちょっと難しい話も、お笑いのジャングルポケットの斉藤さんが、面白おかしく説明してくれました。
斉藤さん、さすがでした!!
詳しくは番組のアーカイブへ
さいとうの「さい」は今は59種類ですが、以前は80種を越えていたようです。
番組では触れませんでしたが、「わたなべ」の「なべ」も、今の戸籍では42種類あります。
「さいとう」の「とう」の方、いわゆる「ふじ」も、戸籍上36種類あります。
このような文字は他にもたくさんあります。
誤字俗字関係の通達は、平成6年の戸籍改製の前後で複数出されました。
平成6年の戸籍改製とは、完全なコンピュータ戸籍に移行、つまり昭和時代のヨコ型縦書きの手書き戸籍からタテ型横書きのコンピューターに移し替えられた改製のことです。
この時に多くの誤字や俗字が変更され、文字も集約されました。
それでも、まだまだたくさんの文字が残っているわけです。
(文字移行には人が関与しているわけで、新たな間違いも生まれたのではないか、と思っています)
『チコちゃんに叱られる!』の出演は、私にとっても光栄な出来事でした。
]]>
]]>
先祖調査をしていて、面白い本(冊子)を見つけました。
明治20年6月編さんの数学の問題集
題名は『新撰数学五千題上巻 大島考造編』とあります。
旧制中学校のもののようです。
加算、減算〜毎に、簡単な問題から応用問題へ。
傾向は、一つの難問に時間をかけるのではなく「数多くの問いをひたすら解いていく」という感じです。
とても興味深く全ページを写真に撮りました。
数式問題を2ページ分掲載します。
次に文章問題を2ページ掲載します。
問題集の9割以上が文章問題です。
読解力とスピード、さらには暮らしの知恵、を養っていることが分かります。
※分かりやすいようは多少文字を変えてます
(70)明治17年に15歳なる人は、明治何年の生まれなるや
(71)ある人 貧民18人へ一人に付き米3升5合ずつ与えて1升5合余れりという。その米高、幾何(いくばく)なりや
(72)256本の杭を三間ずつ隔てて植えるとき、その距離幾間なるや
(73)9人の商人同等の金を出し、船一艘(そう)を買い航海し、運賃金360円を得る。その内より雑費45円を払い、その余りを分配するとき、一人の取金如何なるや
(74)間口8間、奥行15間の周囲は幾間なるや
----------------------------------------------------------
(120)金120円をもって金銀時計を各一個を買いしに、金時計は銀時計より88円高価なりという。各価を問う
(121)ある人に年を問うに答えて曰く、15年以前は、4倍にして48年なりと。その人の年は如何
(122)ある人136里の道を毎日12里ずつ歩行し、4日を経て足を傷めり。よってそれより毎日8里ずつ減じて歩行せりという。この道中幾日を費せしや
(123)父子その年齢の和60歳にして、父の年齢は子の年齢の4倍なりという。父子各幾歳なりや
文章問題の題材は、暮らしに関わるものばかり。
米、麦、布、砂糖、塩、桃、柿、牛肉、煙草、半紙、炭、馬、鶴亀、、、
時代を反映して、歩兵隊が何里進む、兵卒何人、といった問題も。
ざっと見ていくと「富国強兵」をスローガンにしていた明治政府の教育のありようが垣間見れて面白いです。
]]>
コロナウィルス禍で講座は休止していましたが、この秋冬、しっかりとした感染対策を実施しているNHK学園あきる野オープンスクールで、家系図作成・先祖調査の講座を行うことになりました。
NHKのテレビ番組に芸能人のルーツをたどる『ファミリーヒストリー』があります。
私は番組関係者ではありませんが、家系図作成・先祖調査を専門に行っており、番組で行っている先祖調査の方法は同じです。そこで、そのノウハウを6回の講座ですべてお話しいたします。
コロナで、先祖調査をご依頼いただいているお客様の調査活動がままならない中、ご関心のある方にお話ができればと思います。お近くの方は、ご検討ご参加いただければ幸いです。
●講座概要
講座:ファミリーヒストリー講座 〜我が家の家系図の作り方・調べ方〜
日時:令和3(2021)年10月20日(水)10:00-12:00 から全6回
料金:21,000円(プラス別途資料代1,800円)
案内記載文:
我が家のルーツを調べ、自分で家系図を作ってみませんか。
戸籍の取得方法や戸籍の読み方、家系図の作り方はもとより、名前の歴史、名字や家紋の話も交え更には戸籍を超えた先祖調査の方法(戸籍以上の先祖の名前、江戸時代の先祖の仕事等)などを学びます。先祖を敬う気持ちが高まるとともに、知的好奇心が搔き立てられる講座です。
この秋、命のつながりを辿る旅を始めませんか?
お申込み、お問い合わせは、NHK学園あきる野オープンスクールへお願いします。
https://www.n-gaku.jp/lifelong-school/course/7100 ※募集は終了しています(2021/11)
家系図作成・先祖調査で、戸籍をさかのぼって取っていくと、一つの戸籍のなかに「長男」が二人が出てくることがあります。
これは、戸主(家のあるじ)が最初の妻(前妻)と男子「長男」をもうけた後に、その妻と死別したり離婚をして再婚し、次の妻(後妻)との間に男子「長男」をもうけた場合です。例1のとおりです。※女子「長女」の場合も同様です。
例1:
前妻との子が3人(男男女)→長男、二男、長女
後妻との子が2人(女男) →長女、長男
実際は、明治時代、大正時代の戸籍は、後妻との子の続柄は、例2のとおり前妻との子の続柄を引き継いでいるのがほとんどです。
例2:
前妻との子が3人(男男女)→長男、二男、長女
後妻との子が2人(女男) →二女、三男
この記載の違いには理由があります。
戦後の民法改正までは、家制度(家父長制)があり、家が基準でした。
つまり、戸主(家のあるじ)の子どもは、妻が何番目であっても、その家で生まれた順番が基本です(例2が基本)。
さて昭和になり、戦後民法改正の際、次の通達が出されました。
◆法務庁民事局長通達(昭和22年10月14日、民事甲第1263号)
嫡出子の父母との続柄は、父母を同じくする嫡出子のみについて、同一戸籍内にあるなしを問わず、その出生の順序に従い、長、二、三男(女)と称し、父又は母の一方のみを同じくする嫡出子は、これに加え入れないのが相当である
わかりにくい表現ですが、出生の順序に従って、長、二、三男(女)となるのは同じですが、父または母の一方だけが同じ子は、この順を引き継がない、つまり、後妻との子は、長、二、三男(女)という続柄になるということです。
この取扱いによって、後妻との男子を「二男」と書いたものは、市町村長が職権で「長男」と更正して差し支えなくなりました。後妻(その子の母)にとっての最初の男子は「長男」だからです。
これは、戦後の『父母両性の本質的平等』を尊重したものであり、戸籍も家単位から夫婦単位に変わったからです。
もう一つ、家制度の変更に関わる、子の続柄表記の変更があります。
それは、二番目の男子は「次男」か「二男」か、です。
戸籍を辿っていくと、ほとんどの古い戸籍は「次男(次女)」と書かれています。
いまは「二男(二女)」です。
この違いにも理由があります。
上述のとおり、家制度の社会では「長男」がすべて家督相続しますが、長男に何かあった場合は「次の男子(次男)」が相続します。年長者優先の原則です。
戦後は、子の相続は生まれた順には関係なく皆平等なので、二番目の男子は「二男」でいいわけです。
家系図を作る際、子の続柄などを戸籍通りに書くかどうか、お客様に確認することがあります。
「次男」か「二男」かは、現在で言えば「二男」と表記するのが理にかなっており、一つの家系図で両方の表記が混在しているのも見た目にはきれいではありません。ただ「次男」という続柄は意味があるわけです。
家系図の表記方法は、法令や規定はなく正解はありません。
家族背景、家の状況、届出してきた人の意向をどう考えるか、家系図を作る方(ご依頼人)の想いや先祖との関係性が重要です。
そういう意味で、同じ戸籍を元に家系図を作っても、作る人によって全く同じ家系図にはならないのです。
]]>
よろしくないタイトルですが感じることを率直に述べます。
(法治国家の国民にあるまじき、かつ行政書士にあるまじき私一個人の感想です。
不快に思う人は途中で読むのを止めてください)
----------------------------------
2021年1月5日、神奈川県座間市で男女9人を殺害した白石隆浩被告の死刑が確定した。
白石被告がSNSで男女9人を誘い出しそれぞれ殺害したこの事件、女性8人への強盗・強制性交等殺人罪と男性1人への強盗殺人罪に問われたものだ。
座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかり、遺体の切断もしている。殺害された女子高校生(当時17歳)の内臓はコンビニのゴミ箱に捨てたという。
第一審は、「SNSの利用が当たり前となっている社会に大きな衝撃や不安感を与えた、犯罪史上まれに見る悪質な犯行だ」と指摘し、検察の求刑どおり死刑を言い渡した。
被告の弁護士は、判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが、白石被告本人が控訴を取り下げ死刑判決が確定。弁護士によれば「取り下げは後悔しない」との本人の意向だという。
読売新聞(1月6日朝刊)は『被告の抱いた悪意が何に由来し、なぜ踏みとどまれなかったのかは、検証されるべきだろう。控訴を取り下げ、審理に自ら幕を引いた被告。これから(死刑)執行前までの間は、自らの最期に考えを巡らせることになるはずだ。それは奪った命との重さと向き合う時間になる。』と結ばれている。
しかし、9人の尊い命と最期の苦痛を考えると「ちょっと待て」と言わざるを得ない。
昨年(2020年)12月4日、BS日テレで映画『桜田門外ノ変』が放映された。
内容は、水戸藩と薩摩藩の浪士が開国を推し進めていた徳川幕府の大老・井伊直弼を暗殺した事件「桜田門外ノ変」の真相と背景を描いたもの。
18人の襲撃部隊の指揮をとった水戸藩士の‟関鉄之介”が主人公(主演は大沢たかおさん)だ。暗殺後、多くの仲間が順に処罰されていく(死んでいく)過程が描かれている。
そのなかで、鉄之介の‟妾”が、「鉄之介の居場所を吐け」と、石抱(いしだき)の拷問にあうシーンが出てくる。映画では長谷川京子さんが演じており、史実ではその妾は拷問などで亡くなったという。
ここで江戸時代の拷問についてまとめてみよう。
桜田門外ノ変があったのは1860年。
江戸時代中期以降、拷問は「笞打(むちうち)」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」「釣責(つりぜめ)」の四種のみとされていた。それ以前には「火焙り(ひあぶり)」などがあった。
四種のうち一番軽い拷問は「笞打(むちうち)」。
容疑者の服を脱がせて太い縄で縛り身動きが出来ないようにして打役が拷問杖(箒尻、ほうきじり)で思い切り背中をたたく。出血しても傷口に砂を振りかけ血止めをしてたたき続ける。多くの者は縄で縛り上げられただけで痛みと恐怖で白状したという。
笞打で白状しなければ次は「石抱(いしだき)」。
体を縄で縛り、後ろの柱に固定し、三角形の材木を五本並べたそろばん板(真木という)に座らせる。
尖った材木がすねに食い込んで痛むが、その膝の上に重さ約50?の石板をのせる。それを2枚、3枚と積んでいく。
10枚(約500?)も積むと体が蒼色に変わり血を吐くという。
石抱でも白状しなければ、次は「海老責(えびぜめ)」だ。
これは手、足首を縛り上げ、縛った両足首があごにつくまで体を屈曲させて放置する。
30分もすると血行が止まって全身がうっ血して赤黒くなる。それが海老の色に似ていることから海老責と言われた。容疑者は劇痛に襲われ、時間がたつと失神し、血を吐いて絶命する者もいる。
最終手段が「釣責(つりぜめ)」だ。
上半身を裸にして両腕を後ろに回し交差させ、縄で締め上げ梁に吊るす。
次第に縄が体に食い込み、やがて足のつま先から血がしたたる。白状しなければ吊るしたまま箒尻で体をたたく。
映画の妾への拷問は、二番目の「石抱」であった。
江戸時代も法治国家であったので、拷問は、殺人・火付け・盗賊など死刑に該当する可能性がある容疑者に限られていた。桜田門外ノ変では、主犯の妾にさえ拷問死を強いた幕府の怒りははかりしれない。逆に、捕らえられた藩士は少なくとも武士の死に方「切腹」という方法で描かれていた。
話は戻り9人を殺し、体を切断し、自ら死刑を選んだ白石被告。
「死刑執行まで、自らの最期に考えを巡らせ、奪った命との重さと向き合う時間をすごす」は、憤りこの上ない。
この男は、
何を考え何を反省し何をのこし、また何か語るのか語らないのか。
殺された男女の怖れ悲しさ無念さはこの男に響くのか。
この男の最期の姿は、死者に、遺族に届くのか。
残忍非道なことをした男がそんな静かな最期でいいのか。
殺された者たちの痛みを少しでも味うべきではないのか。
この男の生い立ちなど、まったく考慮する必要はない。
殺害された人たちの恨みと遺族の怨念だけでも白石を苦しめられるかもしれない。
しかし拷問の痛みのような直接的な苦しみを与えてもいいのではないか。
江戸時代のような拷問はできないが、考えればいくらでも違う方法はあるだろう。
悲しいかな日本での法の下、拷問は無理だ。
強い憤りを感じる。
殺害された男女9人に声をかけてあげたい(上から目線ではありません)。
話を聞いてあげたい。
魂は何度も生まれ変わる。
次は幸せな人生をおくってもらいたい。
先祖調査で面会した香川県高松市の某寺住職は「あの世では必ず会いたい人に会えます。」と断言した。
亡くなった方々に少しでも安らぎがあることを願う。
先祖調査をする中で、江戸時代は宿場であった町の郷土史を調べることがあります。
宿場町には旅籠(はたご、旅館)が並び、旅籠には「飯炊女(めしたきおんな)」や「飯盛女(めしもりおんな)」という名称が見られます。
表面上は「飯を炊く」「飯を盛る」、いわゆる給仕ですが、実際は宿場に存在した私娼のことです。宿場女郎(しゅくばじょろう)とも言ったようです。旅籠では、人数を限って飯炊女(飯盛女)を置いて、売春行為を認めていました。
江戸時代、日本にはとにかく遊女の数が多く、幕府が公認した遊郭のほかに、どこの町にも岡場所(私娼が集まった非公認の風俗街)があり、宿場には飯炊女のようなサービスがありました。人気ある飯炊女を置けばその旅籠屋は繁盛もするわけです。女性たちの多くは農民の娘。生計が苦しい農家の親から売られた娘さんたち。
日本三大遊郭の一つに江戸の吉原があります。
吉原の遊女の多くも、子どものときに親から売られた地方農民の娘さんたち。
家計が貧しく何人もいる娘を養えない親が、泣く泣く娘を売りに出しました。
幕府は業者による人身売買は基本的に禁じていましたが、親が子を売る行為は認めていました。
吉原の遊女は、27歳になった正月、年季が明けて自由の身になれるのですが、その多くは性病や伝染病でそれ以前に亡くなっています。
病死者は近くの「淨閑寺」に葬られました。(現住所:荒川区南千住2丁目1番12号)
浄閑寺は通称「投込寺」と呼ばれ、新吉原総霊塔の史跡があり、推定2万5千に及ぶ魂が慰められています。
「生れては苦界 死しては浄閑寺」
塔下の墓所に刻まれた花又花酔の川柳です。
先祖調査で、江戸時代から明治時代の浅草の芸者を調べたこともあります。
今も文献や写真が残っています。
芸者たちに誇りのような気品を感じますが、実際には複雑な心境だったのでしょう。
どの時代にも懸命に生きた人々がいます。
もちろん今も同じです。
仮にその人の一生が苦しいもので終えたり、突然終えなければいけない一生だったとしても、必ずその魂は生まれ変わり、次は幸せに包まれた暮らしができる、と私は信じています。
日本史は一人ひとりの一生が集まったもの。
古きから一人ひとりの暮らし、生き様、その想い、それぞれの努力、があったからこそ今の日本は成り立っています。
人そのものに上下はなく、すべての人に「生」を受けた意味があります。
人を大切に想う心を忘れてはいけません。
それぞれの人にそれぞれできることがある。
ただしできないときは何もやらなくていい。
私も、社会の中で、人のため、自分ができることを、できるときにやっていこう、と考え実行しています。
]]>
新型コロナウィルス猛威のなか、先祖調査の活動は完全にストップ。。
ウィルスは恐ろしい。
そこで今回はつぶやき、雑感です。
明治初期の徴兵忌避の話。
明治5(1872)年11月28日、明治政府は 『徴兵に関する詔勅』 なる天皇の命令を出し、太政官の告諭(太政官布告第379号)をもって 「徴兵令の公布」 を宣言しました。
“太政官” というのは、明治元年から明治18(1885)年12月まで18年間続いた、明治政府の中央機関のことで、今で言う内閣府にあたるものです。
※太政官は、維新を成し遂げた?薩長土肥”(薩摩藩、長州藩、土佐藩、 肥前藩) の藩閥で独占されていました。
徴兵制は、明治6年1月10日に施行されました。
この徴兵制による国民皆兵の実施は、当時の人々にとっては晴天のへきれき。
農民も町人も、戊辰戦争に志願した一部の者を除けば、鉄砲を担いだり、刀を下げたりすることは始めて。
戦国時代まで戦場に出ていた武士も、多くは江戸時代に帰農、その後農業を専業としてきました。
家には「先祖は武士だった」との言い伝えが残るだけ。
多くの国民は、江戸時代270年間で戦うことなどすっかり忘れています。
明治政府は 『富国強兵』 をスローガンに、
徴兵(兵制)
徴税(税制)
教育(学制)
を国民に課すため、全人民(一般国民)を把握する必要性から戸籍制度を開始。
無国籍者(脱藩浪人)の把握、通称の廃止、変名・複名を禁止して、個人の特定を急ぎました。
徴兵制の創設・・・
政府は 「四民平等」「人権尊重」 を謳いながら、軍隊を安価に造りあげるための突然の発布でした。
この時代は、戸主を中心とする家制度社会。
徴兵制度の中でも、次のような者は徴兵を免役されました。
1.戸主 (→ 一家の主)
2.嗣子承継孫養子相続人 (→ 家を継ぐ者)
3.独子独孫 (→ 兄弟を他家にやって子や孫が一人になっている者)
4.不具等父兄代人 (→ 病気や事故の父兄を代理(世話)する者)
5.常備兵在役兄弟及一度兵役に服せし者 (→ 常備兵役に服する兵士や兵役を終わった者)
6.徴兵せざる地へ全戸寄留の者 (→ 兵役の地に一家で移り住む家族)
徴兵を免れるためよく行われていたのは 「1」と「2」 です。
「分家や他家に入籍して戸主(あるいはその相続人)」 になったり、「絶家廃家を再興しその家の戸主」 になったりして、免役していました。
明治19年式の戸籍を見ていると “絶家再興” などの記載を見ることがあります。
それは、ある家の二男三男が、村内の絶家を再興して、その戸主となることで兵役をのがれたことを意味します。
もちろん、すべての 絶家再興 が兵役のがれのため、というのではありません。
戸主となって兵役をのがれることの風評は分かりませんが、それも一概に悪いこととは言えません。
それよりも・・
一般国民に兵役を課しながら、政治家自身やその子弟、親類には徴兵を免れさせたり、大地主や富豪には手心を加えたり・・・
そっちの方が悪いでしょう。
大地主などへの手心は政治家への献金のためでしょう。
いつの時代も為政者の中に私利私欲に走る者がいます。
今も。
戦後日本、徴兵制はなくなりました。
しかし未来永劫このままかどうか、わかりません。
終戦は1945年、歴史の長さから見るとまだ短期です。
100年後、200年後、日本はどうなっているのでしょう。
憲法は?近隣国は?核は?戦争は?自然破壊は?
今や徴兵など多くの人間が集まらなくても少人数で戦うことができる世の中です。
ウィルス、生物、化学、ハッカー、コンピュータウィルス、電磁波、ドローン攻撃。。
考えるだけで恐ろしい。
一瞬の平和を求め、それを続ける。
皆でその努力をしていく。
これに尽きます。
新型コロナウィルスの猛威はいつまで続くのでしょう。。
]]>
以前、メディアの取材で『閉鎖されている壬申戸籍が、なぜヤフオクで出品されるのか?』との質問を受けたことがあるので、私の知ることを書いておきます。
最初に壬申戸籍の説明から。
壬申戸籍は、明治4(1871)年の太政官布告第170号戸籍法によって、明治5年に編成された最初の全国的戸籍のことで、明治5年の干支であった壬申(みずのえさる)を取って壬申戸籍と呼ばれています。
この戸籍は、明治元年の「京都府戸籍仕法」や明治2年「東京府戸籍法」などが華族、士族、平民といった身分別に戸籍を作成していたのを改めて、基本的にすべて国民を同一の戸籍に記載したものです
今で見れば“差別的”と取られる表現がある戸籍もあるため、昭和43(1868)年 法務省は『回収して封印する』よう通達を出しました。今は市町村や地方法務局で保管され、誰も閲覧できないようになっています。
ここで?回収″しきれなかった壬申戸籍が今も存在しているのです。
『壬申戸籍成立に関する研究』(文学博士 新見吉治著、昭和34年1月発行)の中で、次のように書かれています。
明治五年編製の戸籍を干支によって壬申戸籍と称える。それが明治十九年廿年頃までそのまま用いられ、現在も戸籍役場に保管されているが、隅々その写し替えによって廃棄された原本や、下書に用いられた副本が民間に出て珍重されていた。
※原文のまま
※「称える」=“名づける”、「廿年」=“20年”、「隅々」=“細かいところまで”
つまり、廃棄された筈の原本や下書に用いられた副本が、何らかの理由で “個人宅” に保管され、今も存在しているわけです。 “個人宅” といっても、名主(庄屋)、戸長、副戸長、大地主といった、村で力があり村人を把握する必要があった人たちのことです。
私も先祖調査で、元庄屋や大地主だった家を訪ねることがありますが、その村の壬申戸籍を見たことがあります。
またホームページにも掲載していますが、私は仕事がら研究のため壬申戸籍を保管しています。
これらも上述のような個人宅で保管されていた副本だといえます。
→ホームページ http://senzo-kakeizu.com/column_jinshinkoseki
地方の旧家では、今も手つかずの古文書を見ることがあります。
どこかの個人宅の蔵に、今も壬申戸籍が眠っている、と思います。
]]>
2008(平成20)年開業以来の事務所名 行政書士萩本法務事務所 を、2019(令和元)年9月13日付で はぎもと行政書士事務所 に変更しました。「萩本」 ではなく 「はぎもと」 とひらがなにしました。
開業当初は、許認可、内容証明作成、相続・遺言など、一般的に行政書士が主とする業務を行っていましたが、現在は 家系図作成・先祖調査 業務と 保育所開設・運営支援 の2つの業務に特化しています。
先祖調査も保育所も “ヒト(人)” に関わる仕事です。
その範囲は、赤ちゃんからご先祖様です。
このような理由から、事務所名から 「法務」 という文字をなくし、「萩本」も、やわらかな「はぎもと」(ひらがな)にしました。
もう一つ挙げると、 「萩本」 は少ない名字なので、昔から 「萩原(はぎわら)」 「荻原(おぎわら)」 「荻本(おぎもと)」 「荻野(おぎの)」 にしょっちゅう間違われてきました。今でもです。
そんなことも、ひらがなの 「はぎもと」 にした理由の一つです。
ちなみに私が持ってる名字検索ソフト『写録宝夢巣Ver.18』(2014年4月電話帳データ1621万件)での全国順位は次のとおりです。
萩本(はぎもと)381人 全国順位4021位
萩原(はぎわら)13974人 全国順位189位
荻原(おぎわら)5141人 全国順位494位
荻本(おぎもと)140人 全国順位7862位
NTTの電話帳データですので、NTT固定電話を契約してない人、情報非公開の人はいますが、傾向は分かります。
「萩本」 より 「萩原」 の方が圧倒的に多いです。
どちらも、もっとも多い県は 「群馬県」 です。
名字発祥の地(中世の先祖の地)が「群馬県」にあることがわかります。
私自身の先祖は岡山県です。
ただ岡山県には非常に少なく、先祖を辿れば群馬県に行きつくと思います。
話は脱線しましたが、はぎもと行政書士事務所 を今後も宜しくお願いします!
]]>
今回も『新聞集成明治編年史』を見ていて、なんか面白い(?)記事を見つけたので紹介します。
記事は明治22(1889)年4月29日のもので「肥田御料局長歿す 汽車に便所なき犠牲」というタイトル。
要約すると、
------------------
肥田御料局長(宮内省皇室財産を管理する局の長官)は用心深く、外出の際には便所の場所も予め定めるくらいの人物。
局長が汽車で移動中、(便所に入る予定としていた)静岡駅が、茶摘みの女性が多く駅の便所が塞がっていたため、やむを得ず次の停車駅、藤枝駅で便所に入った。
しかし早々に汽車が出発…
急いで汽車に飛び乗った途端、駅(ホーム)と汽車の間に落ち込み、2つの車両までは(ホームと汽車の間にあった隙間で)大丈夫だったが、3つめの車両が通過の際、下の方の突起に外套の裾が引っ掛かり、レールに引き込まれ、肩から喉のあたりまで圧せられて亡くなる、、
という記事。
------------------
現代もホームから落下したり、ホームと電車の隙間に落ちたりする事故が起こっています。
肥田局長の事故自体は珍しいものではないのですが、この記事、ことさら「便所」を強調している点が何故か面白い。。
「宮内省御料局長官」という立派な人物でも、「“便所”が理由で死ぬ。」ということを言いたいような記事。
この人物調べてみたら、やはりかなりの大人物。
肥田 浜五郎(ひだ はまごろう)
文政13(1830)年1月 - 明治22(1889)年4月28日
?川幕府の幕臣で、勝海舟がアメリカに渡航した咸臨丸の機関長。
明治になってからも岩倉使節団理事官として欧米各国を歴訪。
日本海軍機関科士官第一号。海軍機技総監など様々な要職を歴任。
性格は分からないが、「便所〜」の記事を書かせるような人物だったのか…
なお、この便所駆け込み死亡事故が、列車内の便所設置を後押しした、とのこと。
明治時代の記事って、なんか面白い。
また見つけたら紹介します。
]]>
先祖調査では明治時代の新聞記事を調べることがあります。
平成28(2016)年6月19日のブログでも書きましたが、たまに『新聞集成明治編年史』を見ますが、たまたま、面白い(?)記事を見つけたので紹介します。
記事は、明治16(1883)年6月のもので「女房の睾丸鑑定、殺人嫌疑晴れる」というタイトル。
内容をまとめると、
------------------
志賀豊吉、小池定吉、鶴岡藤吉という3人が牛込門外の堀へ釣りに行ったところ、豊吉が筏(いかだ)から落ちておぼれて死亡。
警吏(警察官)が遺体を検視したところ、豊吉の睾丸が非常に膨れていたため、定吉と藤吉が睾丸を打つ、絞めるなど殺したと嫌疑。
豊吉女房のお花を呼んで話を聞いたところ、「夫豊吉の睾丸は近所の湯屋でも評判高く、このような亭主を持ったお花さんは幸福者だと、毎度女湯でうらやまれるほどの大睾丸です」と話したため、定吉と藤吉の嫌疑が晴れた、という記事。
------------------
明治時代の新聞を追っていると暗い記事も多いのですが、記者がこのような記事を載せて、庶民を和ませていたんじゃないかな、って感じます。
昭和50年代くらいまでの社会は、困難な中にもおおらかな時代だったと思います。
]]>
「戸籍を超えた先祖調査」の実務経験をベースに、私(萩本勝紀)のノウハウすべてを公開した本を出しました。
本のタイトルは「あなたの名前で先祖がわかる」ですが、この本は名字や名前の雑学をメインにしているのではありません。
あなたは次のようなことを感じたことがありませんか?
・初めて来た所だと思えない。
・この人とは会った瞬間から合う。
・どこかで会ったような気がする。
・あの人にはいつも上から言ってしまう。
・あの人にはどうも弱い。
・なんで外国人のような顔立ちなのだろう。
・天皇、皇室には、特別な気持ちがわき上がる。
この本を読み終えた時に、その答えが分かると思います。
下段に、本の目次を記載しましたので、興味があれば是非読んで頂ければ幸いです。
----------------------------------------
題 名 あなたの名前で先祖がわかる
著 者 萩本勝紀(はぎもとかつとし)
行政書士・姓氏研究家・保育士
出版社 株式会社BABジャパン
発売日 2018年5月30日
金額 @1400円+税
----------------------------------------
私はさまざまな役所から「家系図作成」や「先祖調査の方法」の講師を頼まれるのですが、この本は、講座の際にたくさんの受講者から要望があり、それに応えるものでもあります。
単なる「家系図の書き方」や「先祖調査の方法」、「名字の雑学」といっただけのハウツー本にしたくなかったため、これまでの専門家の本と異なることを主に書き上げました(自費出版本ではありません)。
目次は次のような感じです。
序章 その気持ちはご先祖様に通じている
見えない力
不思議な体験(6つのエピソード)
ご先祖様からの働きかけ
第1章 あなたと先祖
先祖がいたからあなたがいる
先祖とあなたの職業に見る共通性
「糸」とDNAの不思議
先祖代々の遺伝子
輪廻転生から考える
第2章 先祖調査という時間旅行の前に
4つの「サイトウ」さんの違いは?
都道府県名のうち、苗字になっていないものは?
「家」制度とは
家紋を知る
家に残る言い伝え
先祖にたどり着けない場合
どのような古文書を探すか
住職もいろいろ
第3章 名字と名前から先祖を知る
姓、氏、名字とは?
日本の四大姓「源平藤橘」
名字の大移動
なぜ名字は二文字が多いのか?
名字の由来を知る
明治期以降の名字について
名前の歴史
第4章 先祖調査は戸籍集めから
先祖調査のスタートは戸籍集め
戸籍の歴史を知る
戸籍謄本、除籍、改製原戸籍とは?
戸籍謄本の集め方
具体的な戸籍の請求方法
市町村の合併を確認する
戸籍のたどり方の例
第5章 戸籍を超えた調査の方法? <事前調査>
文献調査
郷土の役所に問い合わせる
博物館、歴史館、史料館、文書館などに問合せる
同姓宅に手紙を出す
お寺(菩提寺)に手紙を出す
法務局に旧土地台帳を請求する
第6章 戸籍を超えた調査の方法? <現地調査>
現地調査で行うこと
現地調査で必要なもの
現地調査の際の宿と食事について
第7章 家系図を描き方
家系図の書き方は千差万別
ヨコ型家系図とタテ型家系図
どちらの構図で書くか
どこまで記載するか
タテ型家系図の書き方
最終章 先祖を知ると明日が変わる
道は開ける
ヒトの起源と日本人の起源
日本人の先祖が生んだ文化と特性
先祖からのメッセージ
家系図作成や先祖調査の方法だけでなく、名字、名前、魂、輪廻転生、遺伝子、DNA、日本人の心と文化、といったことに着目していることがわかるでしょうか。
ご自身は何者か、ご先祖様はどんな人か、どんな暮らしをしていたのか、どんな苦難を生き抜いてきたのか…
ご先祖様とのかかわりが気になる方は、是非、手に取って頂きたいと思います。
先祖を知れば明日が変わるでしょう。
あなたのルーツを、一度、考えてみませんか?
興味がある方は、私の家系図作成・先祖調査請負人のサイトこちらも参考にしてみてください。
]]>
2018年4月10日(火)放送のTBS「この差って何ですか?」の番組の中で、私が所蔵している壬申戸籍が使われました。
『人を数える時に使う「人」と「名」の差について』の疑問でのこと。
回答は『個人を特定できない場合は「人」、個人を特定できる場合は「名」を使う』とのこと。
個人を特定できない場合「人」の例
携帯ショップの待ち人数は、順番待ちの段階ではどんな人が待っているのか個人を特定できないので「8人」。
ライブの観客数は一人ひとりの名前を確認したりできないから「7,000人」。
ドラマのエキストラ募集人数はどんな人が集まるのか募集の時点では個人を特定できないから「1,000人」
などと「人」を使う、と。
個人を特定できる場合「名」の例
飲食店の順番待ちの人数は、店員がお客の顔を見たり待機リストで名前を確認したりして個人を特定できるので「2名」。
ライブの出演者は一人ひとり名前がわかっていて個人を特定できるから「46名」。
TBS社員数は誰が社員なのか個人を特定できるから「1,072名」
などと「名」を使う、と。
もともと日本ではすべて「人」で数えており、「名」が使われ始めたのは明治時代とのことです。
(確かに、私がこれまでに見た江戸時代の古文書はすべて「人」でした)
明治15年に定められた”陸軍報告例”には、人数はすべて「名」で書くように示されていて、軍隊で使い始められたのではないかと、番組では言っていました。
明治5年、明治政府は国民一人ひとりの名前・年齢・住所を把握するため戸籍を作りました。
個人を把握して“徴税・徴兵・教育”を行うのが目的です。
この時作られた戸籍が『壬申戸籍』ですが、この説明の時に、私の『壬申戸籍』が表示されました(以下)。
ちなみに、私も「何人」と「何名」の差は知らずに使っていました。。
勉強になりました!
私のホームページで壬申戸籍を紹介しています → 家系図作成・先祖調査請負人
]]>
幕末の文久2(1862)年から明治45年までの新聞記事を集めたものです。
歴史書で見る史実が「その時」どのように報じられていたかが分かる興味深いものです。
それだけでなく今では考えられないような社会記事が実は面白いです。
例えば「70歳の老婆が子どもを出産」とか、「銭湯に服一式の忘れ物、裸のまま帰ったのか」など、ありえない話や、ばかばかしい記事が豊富です。
かなりのボリュームなので見るのは大変ですが、面白い記事は、『家系図作成・先祖調査請負人』のホームページで紹介していく予定です。
]]>
※「内縁とは何か」については内縁と同棲と愛人関係の違いを参照のこと
内縁関係は「準婚関係(婚姻に準ずる関係)」として、本人は一方の当事者(相手)に対してのみならず、第三者に対しても保護されています。
“保護されます”というのは、第三者(例えば相手の親や身内)が内縁関係を破壊した場合、本人は保護され、その第三者に対して責任追及ができるということです。責任追及の方法は多くの場合、慰謝料請求を行うことです。
いくつか判例をご紹介します。
【最高裁.昭和38年2月1日判決】
『内縁の当事者でない者であっても、内縁関係に不当な干渉をしてこれを破たんさせたものは、不法行為者として損害賠償の責任を負う』との判決。
【最高裁.昭和37年10月23日判決】
『内縁関係に不当に干渉し、これを破壊した第三者は、不法行為責任(民法709条)に問われるべきである』との判決。
【大審院.昭和7年10月6日判決】
内縁の夫を殺害した者に対しても損害賠償請求ができる旨の判決。
婚姻届を出していないが夫婦のかたちを備えているのが内縁(事実婚)です。それゆえ多くの判例で第三者の責任を認めているのです。
もちろん必ず責任を追及できるというわけではありません。
そのときの夫婦関係の状況や、第三者の意図や行為の状態など、さまざまな調査のうえで“その裁判や調停を担当した裁判官”が判断することになります。
毎日多くの訪問ありがとうございます!
私はこのブログで、いろんなジャンルの記事を書いてますが、どの記事が多く見られてるのか、ここでお知らせしてみたいと思います。
第1位 内縁と同棲と愛人関係の違い
もっとも多いのが「内縁」に関するこの記事です
第2位 何ごとも「5W4H」で
おそらく学生のアクセスが多い理由だと思われます
現物を見ずにネット情報だけでの購入はトラブルの元です
第4位 パワーハラスメントの具体例
どこの会社にもパワハラの馬鹿上司はいるものです
TBSのテレビ番組「新説、おなまえエンタ−テインメント」の反響です
第6位 ペット裁判 動物病院入院中に飼い犬が死亡 動物病院が勝訴した判例
動物病院が勝訴した記事の方が、ペット裁判(医療過誤)慰謝料はいくら? の記事より多いのはちょっと意外です
第7位 中古車購入トラブル 走行キロメーターの巻き戻しについて
悪徳な販売業者は今もなくなりません
第8位 「過去帳は部外者に見せないで」というニュースに対して
これもテレビ番組(NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」)が発端となった記事です
第9位 DVは犯罪です
各DV行為が、どの法律に触れるかをまとめたものです
第10位 事実婚のメリット、デメリット
第1位の内縁にも関係する記事です
以上、アクセスランキングを上げてみました。
ちなみに第1位の「内縁と同棲と愛人関係の違い」は過去3ヵ月間で千数百件のアクセスでした。
私は先祖調査の仕事をしているので、たまにNHKの「ファミリーヒストリーと同じようなことをしているのですか?」と聞かれます。
「ファミリーヒストリー」は有名人の先祖調査の番組で、私も毎回必ず見ています。
ファミリーヒストリーと私の調査は、結果から言えばかなり近いものです。番組を見ている限り、行っている手順や手法、方法はほぼ同じだと言えます。
ただファミリーヒストリーは、“家族史”と訳される通り、どちらかと言えば明治後期〜大正、昭和という、割と最近の先祖調査(TVですので現存の証人のインタビュー映像を入れる等)をメインにしています。
特に本人の1〜2代前、つまり父母やその祖父母の生い立ちや人となりが中心です。
私が行っているのは、江戸時代〜明治(まれに平安・鎌倉時代まで)という少し古い時代の先祖の名前・職業・暮らしぶりの調査や苗字の由来をメインとしているので、この点が違っています。
テレビになると、江戸時代までの調査で、古文書がどうだ、先祖は村で何をしていた、豪農だった、下級武士で何をしていた、などと言っても、番組としては面白味に欠けるでしょう。
やはり生き証人やその友人・知人が登場して、故人の人柄を語る方が共感が得られます。
私は、お客さまの古い先祖(場合によっては平安・鎌倉時代まで)を調査していますので、より学問的な要素が加わってきます。この点も異なる点かな、と思っています。
それとNHKのように海外の調査取材までは費用的にできません。
それにNHKだったら入れる省官庁の保管庫の資料は見ることができません。
TVクルー数人で行っているNHKの先祖調査費用はだいたい想像がつきます。親方日の丸ならではで、個人的にはうらやましい限りです。
しかし私の調査でも、お客さまの先祖の情報はほとんどの方でわかっています。
専門性と学問をベースに経験・ノウハウと勘が必要となる作業です。
日本でナンバーワン、オンリーワンになるため日夜研究と勉強を続けています。
ここでいう勉強とは、姓氏学、歴史学、漢字学、古文書学、民俗学、文化人類学、形質人類学、分子生物学、考古学といった学問のことです。
戦国時代、江戸時代〜幕末〜明治という激動の時代
家を護り、家系を繋げてきたご先祖様
先祖調査を行うと、依頼人(お客様)と先祖のDNAに刻まれている似たもの(例えば職業が通じる)を感じることがあります。不思議なものです。
この仕事が出来て本当に幸せだと感じています。
いわば私のライフワークです。
私は行政書士でもあり姓氏研究家でもあります。
苗字の歴史は家系の歴史です。
日本の歴史も、結局、私たち一人ひとりの歴史が集まったものです。
私が行っている「家系図作成・先祖調査」を深めていくと、
いわば「ルーツ(祖先)探訪」の領域に入ります。
「ルーツ(祖先)探訪」は学問の領域とも言えます。
ここで必要となる学問とは、
・姓氏学
・歴史学
・漢字学
・古文書学
・民俗学
・文化人類学
・形質人類学
・分子生物学
・考古学
といった分野になります。
私は、これらの学問に傾聴することで
他の家系図作成・先祖調査業者との差別化を図っています。
日々勉強の連続です。
学問に加え、先祖調査でもっとも必要な能力…
それは「対人力」です。
いわゆるコミュニケーション能力です。
先祖調査では非常に多くの方と会います。
話す内容はもちろんですが、話し方や接し方、印象はとっても重要です。
何より短時間で、信頼・信用して頂かなくてはいけません。
学問の追求と研究、そして対人能力、
この両面を磨きながら、先祖調査という困難な業務に専念しています。
行政からの依頼で家系図講座の講師もしています。
(講師実績:東京都葛飾区、川崎市高津区、東京都府中市など)
講座の中では、受講者に対し、次のような質問をします。
◆あなたは、こんなことを「思った」「感じた」ことがありませんか?
・初めて来た所だと思えない
・あの人とは会った瞬間から合う
・あの人にはなぜか弱い、苦手だ
・この人にはどこかで会ったような気がする
・日本人の家系なのに、なんで外国人のような顔なんだろう
・天皇、皇族には特別な気持ちが生じる
どうでしょう、経験ありますか?
これらは、私も不思議に思ったり感じたりしてきました。
実は、 姓氏・名字の由来、日本人の起源を研究し、実際の先祖調査をしているうちに、私の中である結論に至りました。
詳しくは講座の中で説明していますが、それは
先祖=遺伝子(DNA)が関係している…
ということです。
別にスピリチュアルな世界で話をしているわけではありません。
「日本人の起源」、「日本の歴史」、「名字の由来と派生」
「日本の歴史」と言っても、それは一人ひとりの歴史が集まったものです。
「名字の由来」も、元を辿っていくと少数の人がスタートになります。
究極的な話をすれば、現在の地球上の人間(ホモ・サピエンス)は、全員、約20-10万年前にアフリカに生息した、たった一人の女性のDNAの子孫だということです。
近年のDNA解析によって、生物の驚くべき事実が明らかになっています。
現生人類の起源は、以前は「多地域進化説」でしたが、DNA解析が進んだ今は、「アフリカ単一起源説」が定説です。
分子生物学という分野です。
世界にいる72億5千万人が、たった一人の女性のDNAの子孫だという事実…
これを知ると世界観が変わります。
私たち一人ひとりの遺伝子には、祖先、先祖の“情報”が刻まれ受け継がれています。
それが先ほどの疑問の回答につながるのです。
興味がある方は、こちら↓も参考にしてください。
萩本勝紀の家系図作成講座
以上
というこことを知っている人もいると思います。
名字の中で都道府県と同じ名称を持つ人は少なくありません。
例えば、香川さんや山梨さんなど、
皆さんのまわりにも何人かいるのではないでしょうか。
都道府県名と同じ名字を持つ方を多い順に10位まで挙げてみましょう。
1位.山口
2位.石川
3位.宮崎
4位.千葉
5位.福島
6位.福井
7位.長野
8位.福岡
9位.宮城
10位.秋田
どうですか? 3〜4人くらいは身近にいませんか?
では次に、
47都道府県の中で名字としては使われていない都道府県があるのですが、皆さんは何処だと思いますか?
それは…
・愛媛
・沖縄
の2つです。
以前は3つ(北海道を含め)としていましたが、「北海」さんはいるので除くことにしました)。
‟道”は"県”と同じ扱いですね。
何故、この2つの道県の名字はいないのでしょうか?
名字は、
明治3(1870)年に「今後、平民に苗字の使用を許す」という平民苗字許可令が布告され、
↓
明治5年2月1日に「戸籍法」が施行され、
↓
日本で初めて本格的な戸籍制度が開始されました。
この時に作られた戸籍を「明治5年式戸籍(壬申戸籍(じんしんこせき)」といいます。
↓
しかし名字の登録が進まなかったため、さらに明治8(1875)年2月13日の「平民苗字必称義務令」によって、すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることが義務付けられました。
↓
そして国民全員が名字を届け出ることになりました。
この時、名字を新たに付けた人も大勢います。
上述のとおり、地名から名字を取るのは一つの名付けの方法でした。
この 愛媛 沖縄 は、この戸籍制度ができた後に誕生した名称(地名)なのです。
つまり、名字が発生したときや、明治の戸籍制度の開始時、名字を届け出るときに無かった(もしくは直前に生まれた)地名は、名字として使われることもなかった訳です。
確かに、愛媛さん、沖縄さん、は聞いたことがありませんね。
もう一つ“京都(きょうと)”についてですが、、
京都府は戸籍制度の少し前に誕生した名称です。
そのため一般に浸透していなかったため、名字に付けた人はいません。
京都(きょうと)さんは聞きませんね。
しかし九州に若干名、例えば福岡県に11件、佐賀県と熊本県に各1件の京都さんはいます。また兵庫県にも1件の京都さんがみえます。 ※件数は2014年の電話帳データより
読み方は“きょうと”さんではなく“みやこ”さんといいます。
福岡県豊前地方に京都(みやこ)郡があるのですが、おそらくこの地名が発祥でしょう。
姓氏は出自・由緒につながる面白い研究なのです。
以上
※戸籍制度については、こちらも参考にしてみてください → 戸籍の変遷
※壬申戸籍については、こちらを参考にしてみてください → 壬申戸籍
※明治初年からの名字の歴史については、こちらを参考にしてみてください → 明治の苗字
]]>ここには一般論(不倫をした女性が悪い)と例外(その女性だって守られるべき)が存在します。
昭和44年9月26日最高裁判所第二小法廷 判決 損害賠償請求
※以下、判例の文言を入れていますが、分かりやすく編集しました。
異性に接した体験がない女性(19歳)が、まだ若く思慮不十分であることにつけこんで、妻子ある上司の男性が、「妻と離婚して結婚する」と嘘を言って、この言葉を信じた女性と肉体関係を持ち、女性が妊娠。
その後、男性は女性と会うのを避けるようになったが、女性は男性を信じ続けて出産をした。出産した後、男性から連絡を絶たれた、という事案。
●一般論(原則)
女性が男性に妻のあることを知りながら、男性と長期間にわたり継続的に、情交関係を結ぶ行為は,一般的にいえば,男性の妻に対する貞操義務違反に加担する違法な行為であるのみならず、男性と共同して、夫婦共同生活を支配する貞潔の倫理にもとる行為に出たことにともなって、民法第90条にいう公序良俗に反するものとの非難を免れない。
女性がこれにより貞操権を侵害され、精神的苦痛を被ることがあっても、その損害の賠償を請求することは、結局自己に存する不法の原因により損害の賠償を請求するものであり、このような請求に対しては,民法第708条本文の規定の類推適用により,法的保護を拒むべきである。
つまり、不倫という行為により女性が精神的苦痛を味わったとしても、男性の夫婦生活への不法行為にあたる。これを前提と考えれば、女性は不道徳・不法な者として裁判所の法的保護を与えることはない。
となります。
しかし判決では、この一般原則が妥当することを前提にしつつ、
●例外
女性が、情交関係を結んだ当時男性に妻のあることを知っていたとしても、
その情交関係を結んだ動機が主として男性の詐言(嘘・偽り)を信じたことに原因している場合において、男性側の情交関係を結んだ動機、その詐言の内容程度およびその内容についての女性の認識等諸般の事情を考え合わせ、
情交関係に至る責任が主として男性にあり、女性の側における(一般論の)不法の程度に比べて、男性側における違法性が著しく大きいものと評価できるときには、
女性への貞操等の侵害を理由とする、女性の男性に対する慰籍料請求は許容されるべきである
と判断しました。
私は不倫ということは肯定も否定もしません。
なぜなら、夫婦関係、男女の関係…
二人の“こと”は、その二人に?しか”分からないこと、だからです。
判例もさまざまです。
このブログでも、紹介していきます。
---関係する条文--------------------------------
第90条(公序良俗)
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
民法第708条(不法原因給付)
不法な原因のために給付をした者は,その給付したものの返還を請求することができない。ただし,不法な原因が受益者についてのみ存したときは,この限りでない。
民法第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第710条(財産以外の損害の賠償)
他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
以上
「夫婦が5年以上継続して共同生活をしていないこと」です。
外国の法律では、1年、2年、3年など一定期間別居すれば離婚原因として認めていますが、現在の日本では、離婚に至る別居期間の認定は個々の事情で判断されています。
改正案は破たん主義の立場から、夫婦共同生活の不存在を、結婚破棄の客観的かつ典型的なしるしとみて、別居が5年以上継続した場合には、裁判上の離婚原因として認める、というものです。
ただこれには、身勝手な夫(妻)からの離婚請求を容易にし、経済的弱者(例えば責任のない妻、専業主婦、養育中の妻、中高年の配偶者など)を著しく不利にする、との批判がされています。
論議はされており最終的にどうなるか分かりませんが、別居期間の具体的な制定は今や止められない流れか、と感じています。
]]>最近、パワーハラスメントについて相談を受けることが重なったため、今回は久々にパワハラについて説明を加えます。
※前回のパワハラについての説明ブログはこちら
パワーハラスメントとは、
「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの“職場内の優位性”を背景に、“業務の適正な範囲を超え”て、精神的・身体的苦痛を与えるまたは環境を悪化させる行為」をいいます。
“職場内の優位性”とは、上司から部下へのものに限りません。後輩・先輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して行われるものも含みます。
“業務の適正な範囲を超え”は、微妙なところです。
業務上必要な指示、指導や注意により本人が不満を感じても、業務上適正な範囲で行われていればパワーハラスメントにはあたらないとされています。
しかし、このようなパワハラの定義より、パワハラについては裁判で認定されたいくつもの判例があります。
以下の具体的なパワハラ行為(言動)を見れば、より分かりやすいと思います。
1.身体的な攻撃
・書類を投げつける
・机やそのへんにあるものを蹴り飛ばす
・机を叩く
・胸ぐらをつかむ
2.精神的な攻撃
?能力やキャリアを否定する(言葉)
・使えねぇな
・マネージャー(主任、課長など)として失格だな
・代わりはいくらでもいるんだよ
・何年仕事をしているんだ
・●●が分からないのか、勘弁してよ
・そんなことまで言わなきゃならないのか
・これまで何やってきたんだ
つまり不当に低い評価をすることです。
?侮辱的な攻撃(言葉)
・アホ、馬鹿、間抜け、ノロマ、グズ、優柔不断
・何度も言ってるだろ、頭悪いな
・「このやろう」などと怒鳴りつける
・肩にフケがベターとついている。お前病気と違うか
・そんなこともできねぇのかよ。バカかよ
性格の非難や家族の悪口も含みます。
?差別的な攻撃(言葉)
・男のくせに、女のくせして
・学校で何学んできたんだ
・何をやらせてもダメだな
・育ちが悪い
?個人的な価値観による言葉
・達成できないのはサボりだ
・問題が起こるのは管理のやり方が悪いんだろ
・根性がない
・子供でもできる
・ようはやる気がないんだろ
3.人間関係の切り離し
・挨拶を返さない
・返事をしない
・無視する
・お前の意見は聞いていない
4.過大な要求
・過大な業務の押しつけ(嫌がらせ)
・使いっぱしりなど、私用を言いつける
・飲酒などの強要
5.過小な要求
・情報を与えない
・一方的な業務変更、頻繁な業務変更
・決裁をしない、難癖をつけて突き返す
・研修から外す、行かせない
・会議に参加させない
6.個への侵害
・どんな育てられ方をしてきたんだ
・結婚はあきらめてるのか
・つきあってる男(女)はいるの
・髪型変えたけど失恋か
・休みは何してるの
・頻繁な(私的な)使いっ走り
自身が受けていることがパワハラなのか悩んだり、
上司関係で言い出せなかったり、
自分が悪いと自分を責めたり…
こう思ったら、ほぼパワハラそのものであるか、パワハラの入口に立っていると言えます。
職場でも、会社でも、外部機関でも、専門家でも、誰かに相談をすることです。
他人は慰めや優しい言葉をかけてくれるかもしれませんが、結局、自分は自分で守らないと誰も守ってくれません。
こんな?やつら”が原因で、あなた自身が精神的な病気になるなんて馬鹿らしいと思いませんか。
私の経験からひとつ確実に言えることは、パワハラや人をおとしめた人には必ずしっぺ返しが起こります。
現象はさまざまです。
本人に降りかかるなら自業自得ですが、ときにその奥さんや子に禍(わざわい)が起こります。
ひどいのになると、病死や不慮の事故(交通事故など)による死です。
人を尊重し、人のこころを大切にする、その人徳は必ずかえってきます。
事実婚とは
「婚姻届は出されていないが実際の夫婦と変わらずに一緒に住んでいる関係」です。
よく 「内縁の関係」 と言われます。
「婚姻届」を出せば、法律上の要件を整えたことになり「法律婚」となります。
「事実婚」は、欧米、特にスウェーデン、フランス、フィンランド、オランダ、オーストラリアでは、社会に浸透しています。
フランスでは「パックス」という契約方式、スウェーデンでは「サンボ」という制度もあり、事実婚でも地位が認められ、社会的に公認される制度があるからです。
日本では、正式に結婚(いわゆる法律婚)しないと「やはり地位が不安定だ」、という意識があります。
ただ最近では、法律婚にこだわらない女性も増えています。
そこで、事実婚のメリット、デメリットを挙げてみましょう。
事実婚のメリット
?姓を変える必要がない。
姓を変える多くの手続き・作業が要らない。
?夫の姓に制限されないため、個人の存在感(及びその意識)が確保できる。
?お互いを尊重し合える。
?「嫁(漢字のとおり夫の家に入った女)」としての親戚付きあい、ふるまい、家のしきたりを強要されない。
「○○家の嫁(婿)」などと言われない。
?精神的な自由さ。ストレスが溜まりにくい。
妻役/夫役に押し込めらる窮屈さが少ない。
?別れても戸籍に記録が残らない。“バツイチ”にならない。
事実婚のデメリット
?生まれた子は非嫡出子。
認知しない限り法的な父子関係は成立しない。
?事実婚の夫婦間では相続権がない。※ただし個別の状況による。
?所得税、住民税、相続税における配偶者控除の適用がない。
?社会的に、事実婚=内縁 というマイナスイメージがある。
?世間のマイナスイメージをいつも意識したり、事実婚という状態を都度説明することが、精神的にも時間的にも面倒。
?国際結婚で外国籍の配偶者に在留資格が与えられ、長期滞在が可能なのは法律婚。
といったところでしょうか。
皆さんはどのように感じますか?
私は時代の変化とともに、メリットの方が大きいような気がします(個人的な意見です)。
今の時代は多種多様です。
それを認めるべき世の中です。
・デメリットは感じない。
・夫の名字になることは嬉しい。
・夫など要らない、子は私ひとりで育てていく。
・相手の親戚づきあいが嫌だ。実家でよい。
様々な考え方があります。
法律婚をしている側が事実婚側を批判する、
あるいはその逆に反発する。
これってまったくくだらないと思います。
ひとりの男とひとりの女が同じ時代に生まれ、なんらかの縁で出会い、お互いの考えでいろんなカタチで生きていく…
単に「事実婚」という生活形態がある、ということだと私は思います。
一人ひとり、社会の中で一生懸命生きている。
何が悪いか、良いか、なんて誰も決められない。
今この瞬間を生きる、古神道でいう「中今(なかいま)」。
これなんだと思います。
]]>
最高裁まで争われた親子関係の判決が平成26年7月17日下された。
判決結果は 「法律上の父子関係を取り消すことはできない」 となった。
つまり、「戸籍上(法律)の父親が父親である」となった。
-------------------------
◆提訴に至る経緯
平成11年に結婚し10年以上連れ添った妻が平成21年に突然出産。
夫が入院中の妻を探し出し、誰の子か尋ねると、妻は「2、3回しか会ったことのない男と人」と答える。
(実際には平成20年から交際を始め性的関係を持つようになっていた)
夫は動転しながらも自分の子として育てる決意をし、長女として出生届を提出、自らの子として養育した。
しかし翌年の平成22年に協議離婚、子の親権者は妻とした。
妻は子と、子の血縁上の父と3人で生活をしている。
平成23年6月、妻が子を代理し、元夫に対し親子関係不存在の訴えを提訴した。
その際、DNA鑑定により血縁上の父(新しい夫)が99.99%の確率で子の父である証拠を提出した。
そして、子どもの父は、
戸籍上の父親(法律を優先)か、DNA鑑定が証明する血縁上の父親(生物学上の血縁を優先)か
が争われたものである。
最高裁第一小法廷判決は、裁判長を含め5人の裁判官で審決される。
民法を優先が 3人
DNA鑑定(生物学的血縁を優先)が 2人
という結果である。
結果が表すとおり、賛成・反対は専門家でも分かれ、おそらく世論に聞いても意見は真っ二つに分かれる議論である。
法律を優先した裁判官でも補足意見を述べている。
最高裁の判決文を読むと、それぞれの裁判官の意見はどれも一理あるものである。
-------------------------------------------------------------------------
私も自分自身、問うてもいずれかの結論は簡単に出ない。
子の利益が優先は最も重要である。
しかし、乳幼児という判断が下せない年齢では、結果的にどちらがいいのか、子自身の答えは出せない。
私は仕事柄、これまで1000枚ほど戸籍を見てきた。
明治時代の戸籍は、届出した人や手続きがルーズなこともあり、誤りが多いと感じている。
また後になって意図的に変えた形跡も見られる。
誰が父かを敢えて不明にすることがある。
当時、仮にDNA鑑定などがあったら、現在に繋がる家系図や相続関係図は違ったものとなるかもしれない。
日本は血縁を重視すると言われるが、?養子をとって家を繋ぐ”ということを鑑みると、血より家を重視している。
いくらDNA鑑定が「ほぼ100%正確な結果が出る」としても、親子関係の、法的・身分的・生物学的・社会的に、相当な論議を尽くし、立法や行政手続きを作ってからでないと、明治期から続く法律を崩してはいけないとも考える。
(参考)
平成24年(受)第1402号 親子関係不存在確認請求事件
平成26年7月17日 第一小法廷判決
追伸:
しかしこの事案、そもそも婚姻中に他の男性と付き合い子を作った不貞行為はどうなっているのか。。
協議離婚が成立した段階で夫婦間では決着していることだと思いますが、本質・経過・結果、どれも深く考えさせられる事案です。
]]>
平成26年6月4日、厚生労働省より「平成25年の人口動態統計年計」が公表されました。
概況は次のとおりです。
出生数は 103万人 で過去最少 (対前年7千人減少)
合計特殊出生率は 1.43 で上昇 (同0.02上昇)
死亡数は 126万8千人 で戦後最大 (同1万2千人増加)
婚姻件数は 66万1千組 で戦後最小 (同8千組減少)
離婚件数は 23万1千組 で減少 (同4千組減少)
これらの細かい統計数値結果を見みると、より分かることがあります。
出生数
出生数は全体では前年より7,431人減っています。
しかし出産時の母の年齢を見てみると、15〜19歳と35歳以上では出産が増えていることが分かります。
15〜19歳前年比201人増、35歳以上同156人増です。
ちなみに、50歳以上でも47人の出産がありました。
14歳以下も前年より減りましたが51人もの出産があります。
合計特殊出生率
合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数)が1.43と、1.41から0.02でも上昇したのは嬉しいことです。
ただ人口を維持するのは2.08とされていますので、まだ少ないです。
出生率がもっとも高いのは沖縄県の1.94で、もっとも低いのは東京都の1.13ですが、都道府県別に見るとある特徴が分かります。
それは、東日本大震災の被災地県での上昇です。
岩手県こそ前年1.44→1.46で0.02の平均値での上昇ですが、青森県は前年1.36→1.40で0.04の上昇、宮城県も1.30→1.34で0.04の上昇、福島県では1.41→1.53という0.12もの上昇です。
被災地の方々の気持ちがわかる結果です。
大損害を被った岩手県はこれから上がるのではないかと思います。
死亡数
高齢社会ですから、死亡数が増加傾向なのは仕方のないことです。
死亡の原因(死因)を見てみると
第1位 悪性新生物
第2位 心疾患
第3位 肺炎
という結果です。
死亡者の3.5人に一人は悪性新生物での死亡となっています。
悪性新生物とは一般的には「ガン」のことです。
悪性新生物の死亡数・死亡率は「肺」がもっとも多く、次が「胃」です。
平成22年度までの第3位は脳血管疾患でしたが今は肺炎が第3位です。
これは高齢者の方が増え、肺炎での死亡が多くなっているからです。
高齢社会ですから全体の死因は“病気”となるわけですが、年齢別にみると大変なことが分かります。
それは「自殺」という死亡原因です。
15歳〜39歳までの死因第1位は 自殺 です。
40歳〜49歳までも第1は悪性新生物ですが、第2位は 自殺 です。
59歳〜54歳も第3位が 自殺 です。
婚姻件数
全体では前年より8275組減っていますが、これは人口が減っているためであり、婚姻率(人口千対)は5.3と前年と同じです。
平均初婚年齢は、夫30.9歳、妻29.3歳で、夫・妻とも前年より0.1歳上昇しています。
都道府県別でみると、平均初婚年齢がもっとも低いのは福島県で、夫29.8歳、妻28.2歳。
もっとも高いのは東京都で夫32.2歳、妻30.4歳です。
福島県の方が早く結婚したいという理由は、出生数増加と同じだと思います。
離婚件数
離婚件数は前年より4022組減りました。
ただし、同居期間を見ると30年を越えてからの離婚は増えています。
いわゆる熟年離婚です。
私は日本の人口や統計、社会情勢を分析するわけではありませんので、それぞれの結果数値に評論はしません。
ただ、日本社会の現状と近い将来、遠い未来の課題・やるべきことは数値が表してくれます。
30〜100年先を見すえた政策が必要だと感じます。
記事によれば、
「寺の檀(だん)信徒の戒名(法名)や死亡年月日などを記した“過去帳”について、各宗派が、外部に閲覧させないよう所属寺院に呼びかけている。かつて、被差別部落出身者かどうかを確かめる身元調査に過去帳が利用されているとして閲覧禁止を周知したが、ここ数年、寺外に見せた事例が相次ぎ判明したためだ。」
とあります。
きっかけは、2014年5月に放送されたNHKのバラエティー番組『鶴瓶の家族に乾杯』で、俳優の谷原章介さんのルーツ探しのため「過去帳」を手がかりにするということで、浄土真宗本願寺派のお寺を訪ね閲覧を求め、住職が明治年間の「門徒明細簿」や「門徒戸数控」などの記録を開示する様子が放送されたものです。
かつて被差別部落の人の戒名に「賤」「隷」「畜」といった文字をあてて過去帳に記したり、被差別部落の人だけの過去帳が作られたりしたことがあったため、部落解放同盟から、「なぜ今回の問題がおきたのかの分析からはじめ、総点検をおこなう必要がある」ことを本願寺派に指摘して、差別の現実と向き合うなかで、教団全体の課題としてとりくみをすすめるよう求めました。
本願寺派はNHKに「お寺に行けば誰でも過去帳が閲覧できて、情報を得ることができると思わせた責任が大きく今回の放送が与えた影響は少なくない」と指摘し、NHK側は再放送の取りやめや今後の制作現場への周知を行い、本願寺派は、今回の閲覧禁止の周知、と至りました。
-------
私も家系図作成・先祖調査の業務を行っており、全国さまざまな宗派のお寺を訪ねています。
私は行政書士という国家資格者で、特に個人情報の取扱い遵守を法律で課されています。
そのため、住職にも多少は受け入れてくれやすくはなっていると感じています。
過去帳は一級の個人情報ですので、住職の対応はそれぞれです。
話し方や進め方はとても気をつけています。無理も言いません。
お寺では、真摯に先祖を敬う依頼人のお話しをして、住職が理解してくれた場合に限って過去帳を見せて頂いています。だいたい5人に4人の住職は見せていただけます。
特に檀家である本家筋の口添えがあればほぼ協力して頂けます。
これまで数百冊の過去帳を確認してきました。
ただいきなり「過去帳を見たい」と言ってお寺を訪ねる人は、結構大勢いるようです。
残念ながら悪質な業者(お金儲けのための家系図作成業者)もいて、以前、警戒されて、門前払いとなったことがあります。
しかし、多くの場合、対面して住職とお話が出来れば(特に住職は一瞬で相手を見抜きますので)、ほぼ受け入れて頂いています。
嘘なく誠実な対応を心掛けていかないといけないと、今回のニュースを見て改めて思いました。
平成18年10月19日東京地方裁判所判決 平成17年(ワ)第9630号
原告:飼い主
被告:動物病院を開設する会社及び獣医師
概要:
原告のシーズー犬(雄、およそ17歳、名前「ラリー」)が入院中の動物病院で死亡。
ラリーに必要な検査、治療をしないまま、強心剤その他必要のない薬剤を過量に投与した過失等があり、そのためにラリーはショック死するに至ったものであるとして、被告に対し、不法行為に基づき慰謝料500万円を求めた裁判。
※原告には夫、子どもがなくラリーを我が子のように慈しみ可愛がってきた
原告の主張:
ア)体力の衰えたラリーに大量の強心剤を投与した
イ)体温測定、血液検査及び心電図検査など検査義務違反
ウ)病名を特定しないまま必要のない薬剤を過量に投与した過失
エ)危篤状態になっても酸素吸入措置を行わなかった義務違反
オ)より適切な病院への転院や他の病院の協力を得ないことの義務違反
カ)被告に対する説明義務違反
被告の主張:
上記すべてを否定。
被告は詳細に薬剤や与えた分量、治療法、ラリーの状況などの証拠を提出。
判決:
原告(飼い主)の請求は棄却。
訴訟費用は原告の負担とする。
----------------------------
この裁判では、原告の主張すべてが否定されました。
裁判の内容を読んで分かることは、
?証拠
?飼い犬の年齢(老齢かどうか)
この2点の重要性です。
特に?の証拠について、
原告(飼い主)が被告(病院、獣医師)の過失を主張することは、非常に難しいことが分かります。
死亡に至る治療中、被告が病院にずっといることは、ほとんどないものです(少なくともこの時点では獣医師を信頼しています)。
カルテや病院の請求明細(治療明細)や獣医の話など、証拠は被告当事者である病院から得る情報だからです。
裁判は、証拠が確からしいと裁判官が認められなければなりません。
病院側の証拠(言うことやカルテ記載内容)を覆すのは困難だと言わざるを得ません。
また、老齢になればさまざまな病気(持病)も現れ、体力も落ちています。
死亡を医師が予見できたかどうか、そこに年齢や持病がかかわってきます。
しかしペットの医療過誤による裁判では、獣医師側の責任を認める判決は近年数多く出ています。
もちろんそれぞれの裁判によって争点や状況は異なります。
裁判、特にペット裁判の判例を見ていて一つ感じることは、
裁判官“自身”がどう考えるか
この違いで判決文は変わります。
少子高齢社会、ペットトラブルの裁判はこれからまずます多くなるでしょう。
判例はこれから作られていく、
それがペット裁判だと言えます。
この裁判は、原告は動物病院で、被告は飼い主です。
原告である動物病院側が、「死亡したことには何ら義務違反はない」とする確認を求め、治療費の5万1000円の請求を求めた裁判です。
ペット裁判で多いケースの、死亡し納得がいかない飼い主が動物病院を訴えた、というものとは逆の原被告です。
----------------
平成3年11月28日判決(東京地方裁判所) 平成2年(ワ)第12875号
事実
動物病院(原告)で、フィラリアに羅患している犬(シェパード)の成虫除去手術中に心臓の鼓動が弱まり、急きょ閉胸することにしたが、その措置中に犬フィラリア症と先天的心室拡張に伴う心停止で死亡した
判決
1.原告(動物病院)は「何らの損害賠償債務は負わない」ことを確認する
2.被告(飼い主)は治療費5万1000円と利息を支払え
3.裁判費用は被告の負担とする
---------------
判決の理由を要約すると
?犬フィラリアは通常愛犬家が予防している病気である
?飼い主が何の予防も取らないで究極の症状になるまでほってあるのは管理の誤りである
?獣医のとった除去手術は教科書に載っているとおりの措置である
?“先天的”心室拡張のため生じた循環機能不全による死亡は、手術前に予見することは不可能であった
ということです。
----------------
以上が内容ですが、
この被告(飼い主)…
ある日、黒いスーツを着た男数名を引き連れて動物病院に押しかけ、
「あの犬は、稲川会の会長から預かっていたものだ。どうしてくれる?」
「誠意を見せろ。」
「いつかお前が危害を加えられることだってあるかもしれないぞ。」
などと大声で威嚇した事実があったようです。
飼い主(被告)が取ったこのような行動は当然に裁判官の心証を悪くしたと言えます。
----------------
※フィラリアとは、
蚊が媒介する(蚊にうつされる)綱糸状虫(しじょうちゅう)目に属するの寄生虫で、心臓や肺動脈に寄生する。フィラリアの寄生により心臓・肺はもちろんのこと肝臓・腎臓などにさまざまな異常をきたすようになる。
]]>
結婚していない男女の間に生まれた「非嫡出子」(婚外子)の遺産相続分は嫡出子の半分、としている民法の規定が、憲法に違反するかが争われている家事審判のことです。
平成25年7月10日 最高裁大法廷での弁論はすべて終結。
そしてこの秋に憲法判断がでます。
私はかなり注目しています。
◆非嫡出子側は、
・出生については選択の余地がないのに、相続で差別的扱いをするのは法の下の平等を定めた憲法に違反している
・先進国で日本と類似する規定を設けている国はない
・高裁でこの規定を違憲とする決定が既に出ている
・立法が法的手だてを講じるべきなのに、放置されている
として、司法による救済を求めています。
◆嫡出子側は、
・法律婚の尊重のために相続格差を設けるのは合理的だ
・外国の動向は、その国の実情や法改正の経緯などを踏まえず単純に比較しても説得力はない
・既に確定した裁判の結果が再審で覆るなど、違憲判断が出された場合混乱する
「婚外子の法的差別について」、少し過去を見てみましょう。
ヨーロッパにおける婚外子に対する法的差別は、1804年の「ナポレオン法典」によって生み出されたものです。
時代を経て、1972年国連経済社会理事会の「非婚の母の地位に関する勧告」において、婚外子について「相続の一切に関して、非婚の子孫に差別があるべきではない」と発表しました
また1979年欧州人権裁判所(オランダ・ハーグ)は、「婚外子差別は違憲」との判決を出します。これにより、欧州各国が国内法の改正に追い込まれていきました。
さらに1986年国連「子どもの人権条約」で、婚外子差別は条約違反であることが明示されました。
これによって、婚外子差別を含む出生や家族構成の違いによる子どもの差別が許されないものであることは世界では動かぬものとなったのです。
では日本を見てみましょう。
日本における婚外子差別は中国の制度を導入しようとした710年の大宝令が最初です。
しかし律令制は崩壊してしまい、明治時代、ヨーロッパから民法が入ってくるまで、婚外子に対する法的な差別を持つことはありませんでした。
そして明治民法では、戸籍制度(家)の安定のため、婚外子を差別しました。
妾制度の意識もあった古い時代です。
その差別が今でも続いているのです。
国連は、日本の民法が定める非嫡出子と嫡出子の相続格差について撤廃するよう再三勧告してきました。
平成8年、法制審議会(法相の諮問機関)は格差是正を含む民法改正案を答申。
しかし国会議員らの反対が強く、法案提出には至っていない現状です。
私はこの問題は、外国がこうだからとか、世界的な流れだからとか、日本はこうだからとかいうものではなく、生まれてくる子ども自身を第一に考える場合、「婚外子であることによる婚外子自身への法的差別はおかしい」と思っています。
ネット上での寄せられた意見をみると、法律婚の尊重、差別は当然・内縁の妻が悪い、日本と外国は違う、などの声が多いです。
しかし、この世に生まれた命=子どもを第一に考えるべきだと私は考えます。
子どもを作った親は、その無垢な命すべてに、責任と義務を最初からもつべきです。
それはその子の生まれ持つ権利だと言えます。
「法的差別が決まっていること」
それはおかしいと考えます。
最高裁大法廷は15人の裁判官です。結果は多数決です。
この審判、つまり非嫡出子(婚外子)の法的差別は合憲か違憲か。
そろそろ明治民法から離れる時代に、状況に、今の日本はなっている
そう私は考えています。
]]>
当事者同士で話し合って折り合いがつくなら金額の多寡は問題ありません。
しかし争いで離婚することも多々あります。
争いがあれば「裁判で決着を。」という手続きに進むわけです。
裁判官は、裁判を通して、“その裁判官自身”の自由裁量によって、公平の観念に従い、諸般の事情をしん酌して慰謝料を算定します。
ここで言う「諸般の事情をしん酌する」とは、
1 苦痛の大きさ・深さ
2 財産状態
3 生活状態
4 職業・社会的地位
5 年齢
6 結婚期間
7 過失、加害者の故意・過失・動機
を裁判官の裁量から算定する、ということです。
また、被害者側(例えば妻側)だけでなく、加害者側(例えば夫側)の事情もしん酌して算定がなされます。
ケースバイケースといっても、統計結果から慰謝料の平均額はあります。
ではどれくらいなのでしょうか。
少し古い資料になりますが、平成10年の裁判所における統計年報があります。
その後、統計結果の発表はありませんが、実務的にその傾向はさほど変わっていないため、平成10年の統計数値は概ね参考になるものです。
平成10年度 慰謝料の平均額 380万2000円
バブルの余韻も残る平成3年度は、435万7000円 と高い数値となりましたが、その後は不景気の波紋もあり減額傾向にあります。
慰謝料の全体平均額は おおむね400万円くらい と言えるでしょう。
なお、慰謝料を婚姻期間の年数別にまとめる(千円単位四捨五入)と次のとおりです。
1年未満 141万円
1年以上5年未満 200万円
5年以上10年未満 304万円
10年以上15年未満 438万円
15年以上20年未満 535万円
20年以上 699万円
婚姻期間が長ければ長いほど慰謝料も大きくなります。
以上のことから、結婚10年程度の平均的生活レベルの夫婦であれば、300〜400万円で話し合いを始めていくのが平均的と言えるでしょう。
もちろん、慰謝料が高くても低くても、二人で折り合いがつくなら平均額などは気にする必要もありません。
現にゼロ円もあれば数億円もありますから。
おとなの男女関係には
役所に婚姻届を出している「正式な結婚」のほかに
「内縁」「同棲」「愛人関係」
という実態があります。
今回はこの「内縁」「同棲」「愛人関係」について、法律的に考えてみましょう。
この3つも大きくは
「内縁・同棲」と「愛人関係」のふたつに分かれると言えます。
まず最初に「愛人関係」についてですが、
しかしその関係が、何らかの特殊で契約的なものであれば法律が関与する可能性もあります。
例えば、割り切った「心と身体のサービス」業、的な契約関係もあるでしょう。
いわゆる“愛人契約です”。
定期的あるいは不定期で取り決めた女性の“癒し”に対して、住居や金銭、物品などの対価を提供するものです。
ただ通常は、親密な男女関係の延長にすぎません。
したがって次の内縁・同棲のような法律的な保護はありません。
では「内縁」と「同棲」についてはどうでしょう。
「内縁」とは、
法律的にみれば、“婚姻の意思”をもって夫婦共同生活を行い、まわりから夫婦と認められているにもかかわらず、婚姻の手続をしていないため、法律的には正式の夫婦と認めらない事実上の夫婦関係をいいます。事実婚とも言われます。
この“婚姻の意思”は、内縁が法的な問題に至った際の判定基準として、とても重要なポイントです。
内縁関係が法的に保護される要素、つまり“婚姻の意思がある”という認定は
・夫婦共同生活の実体
・共同生活の継続性
・性的関係の継続性
・妊娠しているか否か
・家族や第三者(友人、知人、近隣の人など)への紹介の有無や広がり
・見合い、結納、挙式などの婚姻儀礼の有無
などから判断されます。
内縁は、婚姻届を出していないという点が正式夫婦と違うわけですが、最高裁は「婚姻に準ずる関係」として認めています。※昭和33年4月11日判決
内縁の妻を保護した例には、
・労災保険関係では、内縁の妻に保険金受領権を認めるケース
・内縁の夫が交通事故で死亡した場合、内縁の妻にも加害者に対する損害賠償請求権を認めるケース
しかし婚姻の手続をしていないため「正式な夫婦」ではありません。
相続権はなく、また内縁の夫の子の嫡出性はありません。
仮に事実婚の父が出生届を出しても戸籍の父欄は空白となります。
相続に関して言えば「(内縁の妻に)財産を贈与する(遺贈)」
というような遺言があればよいでしょうが、無ければ「特別縁故者として財産分与の請求」を裁判所に申立するにすぎません。特別縁故者は、相続人がいない(相続人不存在)という裁判所の確定がスタートで、期間も手間もかかり、また、特別縁故者に確実に認定される保障もありません。
では「同棲」についてはどうでしょうか。
常識的にみて、同棲とは「男女が事実上一つ屋根の下で生活している関係」と思われますが、一般的に“同棲”というコトバのニュアンスからいえば、「内縁関係にまではいたっていない男女関係の状態」と言えます。
ただ同棲と言っても、実質的に夫婦同様の生活をしている場合もあるので、法律的判断の場面では?内縁か同棲か”という識別は、具体的、事実的、社会的、客観的な状況などから判断されます。
単に男女の結びつきにすぎない関係では法律の保護は受けられません。
保護されるのは、内縁のところで書いたとおり「婚姻の意思」と「夫婦としての実態」をそなえていることが必要です。
法律的保護としては、
“内縁破棄の場合”、破棄による精神的・物質的損害の賠償責任(慰謝料請求)が認められることが多くなっていますが、同棲をやめた場合”のケースで賠償責任を問うには、内縁に比べて実態確認(証明)が強く求められます。
というより一般的同棲という概念では損害賠償の請求はできない、と考えるべきでしょう。(もちろん暴力やDVとなると別の話になります)
最後に、重婚的内縁について触れておきます。
民法第732条に、「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」という重婚禁止の条文があります。
内縁が重婚的内縁関係にあたれば内縁自体無効であり、保護されないというものです。
しかし重婚的内縁も具体的状況によっては保護されることがあります。
一つ判例をご紹介します。
【東京地裁・昭和43年12月10日判決】
本来の妻との婚姻関係が事実上破たんし、離婚と同様な状態になった?後”に内縁関係をもった場合で、相手の重婚を知っていたか、知っていたとしても離婚が近く実現し、?自分が正式な妻になれると信じていた”関係にあっては、法律上の婚姻に準ずる内縁関係の場合に準じて保護される(以下省略)
という判決があります。
これは、結婚している内縁の夫が交通事故で死亡したケースで、内縁の妻に損害賠償を認めたという判決文の一部です。
東京地方裁判所昭和62・3・25判決
京都地方裁判所平成4・10・27判決
婚姻、離婚、別居、内縁、同棲…
「男と女の関係」は今に始まったことではありません。
二人の心情は当事者にしか分からないことです。
2013年の厚労省の調査では、結婚する約2.8組に1組が離婚しているという実態があります。
「バツいち」「バツに」は今や普通なこと、
男女に関する法的見解は、実態や状況をより取り入れた判断に変化していると感じます。
男女関係は切なく苦しい場面が起こります。
陽と陰、表と裏、喜と悲、憎と許、楽と悔、疑と信、熱と冷…
あなたのことを知った他人は一般的なことを言うかもしれません。
でもそんなことはあなたは分かっていますよね。
二人のことは二人だけにしか分からないこと。
人の心はそんな簡単じゃありません。
街にはさまざまな情景があり、心には変化が起こるものです。
ご自身の悩みや苦しみから抜け出せないとき…
時の経過は一番のくすりです。
出会いは別れのはじまり。
でも「今を生きる」。。
この連続が人の一生です。
年齢を重ねた将来、かならず、、
「若かったな」「そんな経験したな」って思える日が来ます。
すべては将来のあなたを作る過程なのです。
(注)上記文章は行政書士萩本勝紀の私的見解を含みます
]]>
ただ「現在も養育費を受けている」という回答はその半分の19%にすぎません。
特に近年では養育費の不払いが増加傾向にあります。
「生活もあるし払いたくなくなる」という元夫もいますが、この時代「不況による収入減や失業」が大きく影響しているのは否めません。
養育費の額は元夫の年収によりますが、通常子ども一人あたり月3〜7万円くらいが相場です。
たとえ収入減があったとしても、数万円の養育費をまったく払わななくなるというのは勝手な話です。
口約束や、元夫の念書などの取り決めだけでは、離婚の決め事にはまったく不十分です。
やはり離婚協議書は公正証書にしておくべきです。
公正証書に「強制執行ができる」という強制執行認諾条項を入れておけば、支払が滞った場合、調停や裁判をしなくてもいきなり強制執行ができます。
強制執行を元夫の給料に行う場合、
サラリーマンなら、給与の原則2分の1を上限に差し押さえができ、過去の未払分だけでなく将来分も継続的に会社から払ってもらえます。
養育費の請求は、子どもが未成年の間はいつでもできます。
※財産分与の場合は離婚から2年、慰謝料は離婚から3年で請求ができなくなるので、この点養育費は異なります。
給与の半分が元夫の会社から払われるとなれば、一般的には元夫は会社での評価や立場すら疑われることになり、社内的なメンツもなくなるでしょう。昇進・昇格すら危うくなるかもしれません。
いずれにしても、実際に強制執行とならないまでも公正証書をしっかり作ることが、離婚にあたっての最大のポイントとなります。
不安なことは専門家に相談しましょう。
---------------
最後に、養育費を取り決めなかった理由が上述の2006年調査データにあるので、以下に挙げておきます。
第1位 47.0% 相手に支払い意思や能力がないと思った
第2位 23.7% 相手とかかわりたくない
第3位 9.5% 交渉したがまとまらなかった
第4位 3.4% 交渉がわずらわしい
第5位 2.6% 養育費を請求できるとは思わなかった
その他 13.8%
以上です。
家系図作成・先祖調査の業務をやる上で、自ずと日本史を勉強することになります。
学生時代は、飛鳥時代、奈良時代、平安時代など遥か昔のように感じていましたが、いまや研究をすればするほど「少し前」くらいにしか感じなくなりました。
今日は聖徳太子の「十七条憲法」についてお話しします。
聖徳太子は600年代初頭に天皇を頂点とする中央集権の政治制度の整備を精力的に進めた人で、その立案力、組織力、行動力、実行力、管理能力はずば抜けています。
なかでも604年制定の「憲法十七条」は天皇制の絶対を示すとともに官人の心得を説くものですが、今の時代でも使える内容が示されており、本当に驚くばかりです。
以下、現代語訳で簡単に説明します。
第一条
人と争わずに和を大切にしなさい
第二条
三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい
(三宝とは、釈迦、その教え、僧のこと)
第三条
天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい
第四条
役人達はつねに礼儀ただしくありなさい
第五条
道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい
第六条
悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい
第七条
仕事はその役目に合った人にさせなさい
第八条
役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい
第九条
お互いを疑うことなく信じ合いなさい
第十条
他人と意見が異なっても腹を立てないようにしなさい
第十一条
優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい
第十二条
役人は勝手に民衆から税をとってはいけない
第十三条
役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい
第十四条
役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない
第十五条
国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない
第十六条
民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい
第十七条
大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい
いかがでしょう?
「和」が何よりも大事だということ説いていますが、これこそ日本の精神の基礎だと思います。
当時の時代背景を言えば、その頃の中国は、巨大権力を持った随がありました。日本の統治は族制国家で、皇位継承権を巡っての豪族の対立があり、危うい状況にありました。
そのため、
聖徳太子は倭国(日本)が随の支配におかれないように日本の土台を築く必要性から中央集権国家の確立を目指した
のです。
改めて、聖徳太子は偉大な人だと感じませんか?
<医療過誤以外の慰謝料>
[平16年3月18日(青梅簡裁)]
判決:10万1600円(うち慰謝料3万円)
犬(ミニチュアダックスフンド)、3歳前後
ペットホテルに預けている間に右前足を骨折
注意義務違反として業者に支払判決
判決は、治療費の全額7万1600円及び
慰謝料(12万8400円の請求のうち)3万円
が認められた
[平17年2月28日(千葉地裁)]
判決:150万円(うち慰謝料70万円)
犬(ボストンテリア)9頭、ブリーダー間トラブル
原告は被告に犬9頭の飼育を委託
(寄託契約及び準委任契約)
この間に6頭死亡、1頭片目失明、1頭片耳欠損
債務不履行、善管注意義務違反による損害賠償と慰謝料
が認められた
原告の請求額は1200万円(うち慰謝料請求額は210万円)
であった
[平11年12月27日(春日井簡裁)]
判決:18万6800円
但し被告が支払済みの治療費12万3500円を差し引き
実際は6万3300円の支払判決 (うち慰謝料は3万円)
犬(ポメラニアン)、推定8歳
公園散歩中、ほかの散歩中の犬に噛まれその後死亡
相互に過失、原告20:被告80の過失相殺となる
[平18年11月22日判決(浜松簡裁)]
判決:3万円
猫の最後を看取ることを依頼したが連絡なく死に目に
あえず
[平18年3月22日判決(大阪地裁)]
判決:10万円
交通事故によるペットの死亡
[平20年9月30日(名古屋高裁)]
判決:一人あたり26万6425円(うち慰謝料20万円)
原告は2人であった
犬(ラブラドールレトリバー、8歳7カ月
赤信号で停まっていた車に原告の大型トラックが追突
同乗の犬が第2腰椎圧迫骨折に伴う後肢麻痺傷害
原告らの請求額は990万5706円
(うち慰謝料請求額は200万円)であった
なお犬用シートベルトなどを装着してなかった原告側に
10%の過失相殺が適用された
以上
記載の内容
木簡には、行政単位の「嶋評(しまのこおり)」や冠位を表す「進大弐(しんだいに)」などの漢字が両面に墨で書かれています。
※「評(こおり)」は大宝律令以前の地方行政単位「国・評・里」の一つで、後の郡に相当し、嶋評は現在の福岡県糸島市や福岡市西区に当たります。
この嶋評の里を対象に、1年間の人の異動を記録した帳簿で、筆跡から同一人物が書いた可能性があるとされています。
「戸主(世帯主)は 建部身麻呂(たけるべのみまろ)」、「その妹は、やおめ」など少なくとも16人分の名前が載っているほか、21〜60歳の健康な男子を指す「政(正)丁」、その中から徴発される兵員「兵士」や「丁女」(成年女性)などの身分や性別も記載されており、「老女之子」など続柄が分かる表現や、正倉院の戸籍と共通する「川部里(かわのべのり)」という里の名も記載されています。
【名前】
建部身麻呂(たけるべのみまろ)
占部赤足(うらべのあかたり)
白髪部伊止布(しらかべのいとふ)
建部小麻呂(たけるべのこまろ)
【身分など】
進大弐(しんだいに)(当時の冠位の一つ)
兵士
戸主(こしゅ)
丁女(健康な成年女性)
【続柄】
小子之母(しょうしのはは)(子供の母親)
老女之子(ろうじょのこ)(高齢の女性の子供)
戸主妹(こしゅのいもうと)
これほど詳細で、まとまった記録が見つかった例はほかになく、木簡が出土しないかぎり、実態は永久に分からないと言われていました。紙(木簡)の戸籍が後世に残ることはまれで、大変貴重な発見だといえます。