2024年の大河ドラマは『光る君へ』、紫式部の一生を描くものです。
紫式部の実名ですが、はっきりはしていません。
定説ではありませんが「藤原香子(かおるこ)」だという説があります。
藤の花は紫色(”紫の上”)、父の職名が「式部」(正式名”藤原式部大夫為時”)。
そこから「紫式部」としました。
この「式部」という職名もそうですが、律令制時代の職名(官職)は、その後、武士、江戸時代には庶民にも通称として浸透しました。もちろん単なる通称としてであり、もはや、その名が表す仕事をしていたわけではありません。
忠臣蔵で有名な「浅野内匠頭(たくみのかみ)」の「内匠頭」、「大石内蔵助(くらのすけ)」の「内蔵助」も通称です。桜田門外の変で暗殺された「井伊直弼(いいなおすけ)」は「掃部守(かもんのかみ)」とよばれ、「掃部守」は通称です。
そこで、この堅苦しい官職を、八切止夫氏(小説家)が、分かりやすく、くだけて表現した文面があったので抜粋します。
職名 今でいうと
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修理(しゅり):修繕係
内匠(たくみ):大工
采女(うねめ):野菜集め
主膳(しゅぜん):メインテーブル係
内膳(ないぜん):ボーイ
大膳(だいぜん):宴会係
大炊(おおい):コック
掃部(かもん);清浄係
主水(もんど):水くみ
帯刀(たてわき):クローク
兵庫(ひょうえ):キーパー
弾正(だんじょう):ガードマン
内蔵助(くらのすけ):倉庫番
縫殿(ぬいどの):仕立て係
雅樂(うた):バンドマン
大学(だいがく):筆耕
織部(おりべ):紡ぎ方
右近(うこん):右近の橘衛兵
左近(さこん):左近の桜衛兵
右兵衛(うひょうえ):右側警備兵
左兵衛(さひょうえ):左側警備兵
兵部(へいぶ):憲兵
中務(なかつかさ):事務
玄蕃(げんぱ):雑役
主計(かずえ):出納係
主税(ちから):税金取り
式部(しきぶ):式典係
主殿(しゅでん):整備係
(歴史読本 昭和52年1月号より)
※なお一部官職でない通称も載せています
]]>テレビ朝日『中居正広のキャスターな会』に情報提供しました。
2023年6月17日放送のマイナンバーカードの特集です。
現在、個人の紐づけが問題になっていますが、「さいとう」の「さい(齋)」の文字だけで59種類もあるという情報提供をしました。
放送では、ITジャーナリストの「三上 洋」さんが、そのフリップを使って説明していました。
なお番組では触れていませんが、
(チコちゃん出演のブログにも書きましたが)「わたなべ」の「なべ(邊)」も42種類あります。
「さいとう」の「とう」の方、いわゆる「ふじ(藤)」も36種類あります。
また名前の方(例えば寿夫や和寿など)で使われる「ことぶき、ひさ、とし(寿)」も47種類あります。
ほかにも、戸籍の誤字俗字は多数存在しています。
マイナンバーカードの個人の紐づけは困難を極めるでしょう。
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なぜ「さいとう」の「さい」の文字が戸籍上59種類もあるのか、について解説しました。
番組では、象形文字でのベースとなる「齋藤」の由来も解説しました。
ちょっと難しい話も、お笑いのジャングルポケットの斉藤さんが、面白おかしく説明してくれました。
斉藤さん、さすがでした!!
詳しくは番組のアーカイブへ
さいとうの「さい」は今は59種類ですが、以前は80種を越えていたようです。
番組では触れませんでしたが、「わたなべ」の「なべ」も、今の戸籍では42種類あります。
「さいとう」の「とう」の方、いわゆる「ふじ」も、戸籍上36種類あります。
このような文字は他にもたくさんあります。
誤字俗字関係の通達は、平成6年の戸籍改製の前後で複数出されました。
平成6年の戸籍改製とは、完全なコンピュータ戸籍に移行、つまり昭和時代のヨコ型縦書きの手書き戸籍からタテ型横書きのコンピューターに移し替えられた改製のことです。
この時に多くの誤字や俗字が変更され、文字も集約されました。
それでも、まだまだたくさんの文字が残っているわけです。
(文字移行には人が関与しているわけで、新たな間違いも生まれたのではないか、と思っています)
『チコちゃんに叱られる!』の出演は、私にとっても光栄な出来事でした。
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先祖調査をしていて、面白い本(冊子)を見つけました。
明治20年6月編さんの数学の問題集
題名は『新撰数学五千題上巻 大島考造編』とあります。
旧制中学校のもののようです。
加算、減算〜毎に、簡単な問題から応用問題へ。
傾向は、一つの難問に時間をかけるのではなく「数多くの問いをひたすら解いていく」という感じです。
とても興味深く全ページを写真に撮りました。
数式問題を2ページ分掲載します。
次に文章問題を2ページ掲載します。
問題集の9割以上が文章問題です。
読解力とスピード、さらには暮らしの知恵、を養っていることが分かります。
※分かりやすいようは多少文字を変えてます
(70)明治17年に15歳なる人は、明治何年の生まれなるや
(71)ある人 貧民18人へ一人に付き米3升5合ずつ与えて1升5合余れりという。その米高、幾何(いくばく)なりや
(72)256本の杭を三間ずつ隔てて植えるとき、その距離幾間なるや
(73)9人の商人同等の金を出し、船一艘(そう)を買い航海し、運賃金360円を得る。その内より雑費45円を払い、その余りを分配するとき、一人の取金如何なるや
(74)間口8間、奥行15間の周囲は幾間なるや
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(120)金120円をもって金銀時計を各一個を買いしに、金時計は銀時計より88円高価なりという。各価を問う
(121)ある人に年を問うに答えて曰く、15年以前は、4倍にして48年なりと。その人の年は如何
(122)ある人136里の道を毎日12里ずつ歩行し、4日を経て足を傷めり。よってそれより毎日8里ずつ減じて歩行せりという。この道中幾日を費せしや
(123)父子その年齢の和60歳にして、父の年齢は子の年齢の4倍なりという。父子各幾歳なりや
文章問題の題材は、暮らしに関わるものばかり。
米、麦、布、砂糖、塩、桃、柿、牛肉、煙草、半紙、炭、馬、鶴亀、、、
時代を反映して、歩兵隊が何里進む、兵卒何人、といった問題も。
ざっと見ていくと「富国強兵」をスローガンにしていた明治政府の教育のありようが垣間見れて面白いです。
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コロナウィルス禍で講座は休止していましたが、この秋冬、しっかりとした感染対策を実施しているNHK学園あきる野オープンスクールで、家系図作成・先祖調査の講座を行うことになりました。
NHKのテレビ番組に芸能人のルーツをたどる『ファミリーヒストリー』があります。
私は番組関係者ではありませんが、家系図作成・先祖調査を専門に行っており、番組で行っている先祖調査の方法は同じです。そこで、そのノウハウを6回の講座ですべてお話しいたします。
コロナで、先祖調査をご依頼いただいているお客様の調査活動がままならない中、ご関心のある方にお話ができればと思います。お近くの方は、ご検討ご参加いただければ幸いです。
●講座概要
講座:ファミリーヒストリー講座 〜我が家の家系図の作り方・調べ方〜
日時:令和3(2021)年10月20日(水)10:00-12:00 から全6回
料金:21,000円(プラス別途資料代1,800円)
案内記載文:
我が家のルーツを調べ、自分で家系図を作ってみませんか。
戸籍の取得方法や戸籍の読み方、家系図の作り方はもとより、名前の歴史、名字や家紋の話も交え更には戸籍を超えた先祖調査の方法(戸籍以上の先祖の名前、江戸時代の先祖の仕事等)などを学びます。先祖を敬う気持ちが高まるとともに、知的好奇心が搔き立てられる講座です。
この秋、命のつながりを辿る旅を始めませんか?
お申込み、お問い合わせは、NHK学園あきる野オープンスクールへお願いします。
https://www.n-gaku.jp/lifelong-school/course/7100 ※募集は終了しています(2021/11)
家系図作成・先祖調査で、戸籍をさかのぼって取っていくと、一つの戸籍のなかに「長男」が二人が出てくることがあります。
これは、戸主(家のあるじ)が最初の妻(前妻)と男子「長男」をもうけた後に、その妻と死別したり離婚をして再婚し、次の妻(後妻)との間に男子「長男」をもうけた場合です。例1のとおりです。※女子「長女」の場合も同様です。
例1:
前妻との子が3人(男男女)→長男、二男、長女
後妻との子が2人(女男) →長女、長男
実際は、明治時代、大正時代の戸籍は、後妻との子の続柄は、例2のとおり前妻との子の続柄を引き継いでいるのがほとんどです。
例2:
前妻との子が3人(男男女)→長男、二男、長女
後妻との子が2人(女男) →二女、三男
この記載の違いには理由があります。
戦後の民法改正までは、家制度(家父長制)があり、家が基準でした。
つまり、戸主(家のあるじ)の子どもは、妻が何番目であっても、その家で生まれた順番が基本です(例2が基本)。
さて昭和になり、戦後民法改正の際、次の通達が出されました。
◆法務庁民事局長通達(昭和22年10月14日、民事甲第1263号)
嫡出子の父母との続柄は、父母を同じくする嫡出子のみについて、同一戸籍内にあるなしを問わず、その出生の順序に従い、長、二、三男(女)と称し、父又は母の一方のみを同じくする嫡出子は、これに加え入れないのが相当である
わかりにくい表現ですが、出生の順序に従って、長、二、三男(女)となるのは同じですが、父または母の一方だけが同じ子は、この順を引き継がない、つまり、後妻との子は、長、二、三男(女)という続柄になるということです。
この取扱いによって、後妻との男子を「二男」と書いたものは、市町村長が職権で「長男」と更正して差し支えなくなりました。後妻(その子の母)にとっての最初の男子は「長男」だからです。
これは、戦後の『父母両性の本質的平等』を尊重したものであり、戸籍も家単位から夫婦単位に変わったからです。
もう一つ、家制度の変更に関わる、子の続柄表記の変更があります。
それは、二番目の男子は「次男」か「二男」か、です。
戸籍を辿っていくと、ほとんどの古い戸籍は「次男(次女)」と書かれています。
いまは「二男(二女)」です。
この違いにも理由があります。
上述のとおり、家制度の社会では「長男」がすべて家督相続しますが、長男に何かあった場合は「次の男子(次男)」が相続します。年長者優先の原則です。
戦後は、子の相続は生まれた順には関係なく皆平等なので、二番目の男子は「二男」でいいわけです。
家系図を作る際、子の続柄などを戸籍通りに書くかどうか、お客様に確認することがあります。
「次男」か「二男」かは、現在で言えば「二男」と表記するのが理にかなっており、一つの家系図で両方の表記が混在しているのも見た目にはきれいではありません。ただ「次男」という続柄は意味があるわけです。
家系図の表記方法は、法令や規定はなく正解はありません。
家族背景、家の状況、届出してきた人の意向をどう考えるか、家系図を作る方(ご依頼人)の想いや先祖との関係性が重要です。
そういう意味で、同じ戸籍を元に家系図を作っても、作る人によって全く同じ家系図にはならないのです。
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よろしくないタイトルですが感じることを率直に述べます。
(法治国家の国民にあるまじき、かつ行政書士にあるまじき私一個人の感想です。
不快に思う人は途中で読むのを止めてください)
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2021年1月5日、神奈川県座間市で男女9人を殺害した白石隆浩被告の死刑が確定した。
白石被告がSNSで男女9人を誘い出しそれぞれ殺害したこの事件、女性8人への強盗・強制性交等殺人罪と男性1人への強盗殺人罪に問われたものだ。
座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかり、遺体の切断もしている。殺害された女子高校生(当時17歳)の内臓はコンビニのゴミ箱に捨てたという。
第一審は、「SNSの利用が当たり前となっている社会に大きな衝撃や不安感を与えた、犯罪史上まれに見る悪質な犯行だ」と指摘し、検察の求刑どおり死刑を言い渡した。
被告の弁護士は、判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが、白石被告本人が控訴を取り下げ死刑判決が確定。弁護士によれば「取り下げは後悔しない」との本人の意向だという。
読売新聞(1月6日朝刊)は『被告の抱いた悪意が何に由来し、なぜ踏みとどまれなかったのかは、検証されるべきだろう。控訴を取り下げ、審理に自ら幕を引いた被告。これから(死刑)執行前までの間は、自らの最期に考えを巡らせることになるはずだ。それは奪った命との重さと向き合う時間になる。』と結ばれている。
しかし、9人の尊い命と最期の苦痛を考えると「ちょっと待て」と言わざるを得ない。
昨年(2020年)12月4日、BS日テレで映画『桜田門外ノ変』が放映された。
内容は、水戸藩と薩摩藩の浪士が開国を推し進めていた徳川幕府の大老・井伊直弼を暗殺した事件「桜田門外ノ変」の真相と背景を描いたもの。
18人の襲撃部隊の指揮をとった水戸藩士の‟関鉄之介”が主人公(主演は大沢たかおさん)だ。暗殺後、多くの仲間が順に処罰されていく(死んでいく)過程が描かれている。
そのなかで、鉄之介の‟妾”が、「鉄之介の居場所を吐け」と、石抱(いしだき)の拷問にあうシーンが出てくる。映画では長谷川京子さんが演じており、史実ではその妾は拷問などで亡くなったという。
ここで江戸時代の拷問についてまとめてみよう。
桜田門外ノ変があったのは1860年。
江戸時代中期以降、拷問は「笞打(むちうち)」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」「釣責(つりぜめ)」の四種のみとされていた。それ以前には「火焙り(ひあぶり)」などがあった。
四種のうち一番軽い拷問は「笞打(むちうち)」。
容疑者の服を脱がせて太い縄で縛り身動きが出来ないようにして打役が拷問杖(箒尻、ほうきじり)で思い切り背中をたたく。出血しても傷口に砂を振りかけ血止めをしてたたき続ける。多くの者は縄で縛り上げられただけで痛みと恐怖で白状したという。
笞打で白状しなければ次は「石抱(いしだき)」。
体を縄で縛り、後ろの柱に固定し、三角形の材木を五本並べたそろばん板(真木という)に座らせる。
尖った材木がすねに食い込んで痛むが、その膝の上に重さ約50?の石板をのせる。それを2枚、3枚と積んでいく。
10枚(約500?)も積むと体が蒼色に変わり血を吐くという。
石抱でも白状しなければ、次は「海老責(えびぜめ)」だ。
これは手、足首を縛り上げ、縛った両足首があごにつくまで体を屈曲させて放置する。
30分もすると血行が止まって全身がうっ血して赤黒くなる。それが海老の色に似ていることから海老責と言われた。容疑者は劇痛に襲われ、時間がたつと失神し、血を吐いて絶命する者もいる。
最終手段が「釣責(つりぜめ)」だ。
上半身を裸にして両腕を後ろに回し交差させ、縄で締め上げ梁に吊るす。
次第に縄が体に食い込み、やがて足のつま先から血がしたたる。白状しなければ吊るしたまま箒尻で体をたたく。
映画の妾への拷問は、二番目の「石抱」であった。
江戸時代も法治国家であったので、拷問は、殺人・火付け・盗賊など死刑に該当する可能性がある容疑者に限られていた。桜田門外ノ変では、主犯の妾にさえ拷問死を強いた幕府の怒りははかりしれない。逆に、捕らえられた藩士は少なくとも武士の死に方「切腹」という方法で描かれていた。
話は戻り9人を殺し、体を切断し、自ら死刑を選んだ白石被告。
「死刑執行まで、自らの最期に考えを巡らせ、奪った命との重さと向き合う時間をすごす」は、憤りこの上ない。
この男は、
何を考え何を反省し何をのこし、また何か語るのか語らないのか。
殺された男女の怖れ悲しさ無念さはこの男に響くのか。
この男の最期の姿は、死者に、遺族に届くのか。
残忍非道なことをした男がそんな静かな最期でいいのか。
殺された者たちの痛みを少しでも味うべきではないのか。
この男の生い立ちなど、まったく考慮する必要はない。
殺害された人たちの恨みと遺族の怨念だけでも白石を苦しめられるかもしれない。
しかし拷問の痛みのような直接的な苦しみを与えてもいいのではないか。
江戸時代のような拷問はできないが、考えればいくらでも違う方法はあるだろう。
悲しいかな日本での法の下、拷問は無理だ。
強い憤りを感じる。
殺害された男女9人に声をかけてあげたい(上から目線ではありません)。
話を聞いてあげたい。
魂は何度も生まれ変わる。
次は幸せな人生をおくってもらいたい。
先祖調査で面会した香川県高松市の某寺住職は「あの世では必ず会いたい人に会えます。」と断言した。
亡くなった方々に少しでも安らぎがあることを願う。
先祖調査をする中で、江戸時代は宿場であった町の郷土史を調べることがあります。
宿場町には旅籠(はたご、旅館)が並び、旅籠には「飯炊女(めしたきおんな)」や「飯盛女(めしもりおんな)」という名称が見られます。
表面上は「飯を炊く」「飯を盛る」、いわゆる給仕ですが、実際は宿場に存在した私娼のことです。宿場女郎(しゅくばじょろう)とも言ったようです。旅籠では、人数を限って飯炊女(飯盛女)を置いて、売春行為を認めていました。
江戸時代、日本にはとにかく遊女の数が多く、幕府が公認した遊郭のほかに、どこの町にも岡場所(私娼が集まった非公認の風俗街)があり、宿場には飯炊女のようなサービスがありました。人気ある飯炊女を置けばその旅籠屋は繁盛もするわけです。女性たちの多くは農民の娘。生計が苦しい農家の親から売られた娘さんたち。
日本三大遊郭の一つに江戸の吉原があります。
吉原の遊女の多くも、子どものときに親から売られた地方農民の娘さんたち。
家計が貧しく何人もいる娘を養えない親が、泣く泣く娘を売りに出しました。
幕府は業者による人身売買は基本的に禁じていましたが、親が子を売る行為は認めていました。
吉原の遊女は、27歳になった正月、年季が明けて自由の身になれるのですが、その多くは性病や伝染病でそれ以前に亡くなっています。
病死者は近くの「淨閑寺」に葬られました。(現住所:荒川区南千住2丁目1番12号)
浄閑寺は通称「投込寺」と呼ばれ、新吉原総霊塔の史跡があり、推定2万5千に及ぶ魂が慰められています。
「生れては苦界 死しては浄閑寺」
塔下の墓所に刻まれた花又花酔の川柳です。
先祖調査で、江戸時代から明治時代の浅草の芸者を調べたこともあります。
今も文献や写真が残っています。
芸者たちに誇りのような気品を感じますが、実際には複雑な心境だったのでしょう。
どの時代にも懸命に生きた人々がいます。
もちろん今も同じです。
仮にその人の一生が苦しいもので終えたり、突然終えなければいけない一生だったとしても、必ずその魂は生まれ変わり、次は幸せに包まれた暮らしができる、と私は信じています。
日本史は一人ひとりの一生が集まったもの。
古きから一人ひとりの暮らし、生き様、その想い、それぞれの努力、があったからこそ今の日本は成り立っています。
人そのものに上下はなく、すべての人に「生」を受けた意味があります。
人を大切に想う心を忘れてはいけません。
それぞれの人にそれぞれできることがある。
ただしできないときは何もやらなくていい。
私も、社会の中で、人のため、自分ができることを、できるときにやっていこう、と考え実行しています。
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新型コロナウィルス猛威のなか、先祖調査の活動は完全にストップ。。
ウィルスは恐ろしい。
そこで今回はつぶやき、雑感です。
明治初期の徴兵忌避の話。
明治5(1872)年11月28日、明治政府は 『徴兵に関する詔勅』 なる天皇の命令を出し、太政官の告諭(太政官布告第379号)をもって 「徴兵令の公布」 を宣言しました。
“太政官” というのは、明治元年から明治18(1885)年12月まで18年間続いた、明治政府の中央機関のことで、今で言う内閣府にあたるものです。
※太政官は、維新を成し遂げた?薩長土肥”(薩摩藩、長州藩、土佐藩、 肥前藩) の藩閥で独占されていました。
徴兵制は、明治6年1月10日に施行されました。
この徴兵制による国民皆兵の実施は、当時の人々にとっては晴天のへきれき。
農民も町人も、戊辰戦争に志願した一部の者を除けば、鉄砲を担いだり、刀を下げたりすることは始めて。
戦国時代まで戦場に出ていた武士も、多くは江戸時代に帰農、その後農業を専業としてきました。
家には「先祖は武士だった」との言い伝えが残るだけ。
多くの国民は、江戸時代270年間で戦うことなどすっかり忘れています。
明治政府は 『富国強兵』 をスローガンに、
徴兵(兵制)
徴税(税制)
教育(学制)
を国民に課すため、全人民(一般国民)を把握する必要性から戸籍制度を開始。
無国籍者(脱藩浪人)の把握、通称の廃止、変名・複名を禁止して、個人の特定を急ぎました。
徴兵制の創設・・・
政府は 「四民平等」「人権尊重」 を謳いながら、軍隊を安価に造りあげるための突然の発布でした。
この時代は、戸主を中心とする家制度社会。
徴兵制度の中でも、次のような者は徴兵を免役されました。
1.戸主 (→ 一家の主)
2.嗣子承継孫養子相続人 (→ 家を継ぐ者)
3.独子独孫 (→ 兄弟を他家にやって子や孫が一人になっている者)
4.不具等父兄代人 (→ 病気や事故の父兄を代理(世話)する者)
5.常備兵在役兄弟及一度兵役に服せし者 (→ 常備兵役に服する兵士や兵役を終わった者)
6.徴兵せざる地へ全戸寄留の者 (→ 兵役の地に一家で移り住む家族)
徴兵を免れるためよく行われていたのは 「1」と「2」 です。
「分家や他家に入籍して戸主(あるいはその相続人)」 になったり、「絶家廃家を再興しその家の戸主」 になったりして、免役していました。
明治19年式の戸籍を見ていると “絶家再興” などの記載を見ることがあります。
それは、ある家の二男三男が、村内の絶家を再興して、その戸主となることで兵役をのがれたことを意味します。
もちろん、すべての 絶家再興 が兵役のがれのため、というのではありません。
戸主となって兵役をのがれることの風評は分かりませんが、それも一概に悪いこととは言えません。
それよりも・・
一般国民に兵役を課しながら、政治家自身やその子弟、親類には徴兵を免れさせたり、大地主や富豪には手心を加えたり・・・
そっちの方が悪いでしょう。
大地主などへの手心は政治家への献金のためでしょう。
いつの時代も為政者の中に私利私欲に走る者がいます。
今も。
戦後日本、徴兵制はなくなりました。
しかし未来永劫このままかどうか、わかりません。
終戦は1945年、歴史の長さから見るとまだ短期です。
100年後、200年後、日本はどうなっているのでしょう。
憲法は?近隣国は?核は?戦争は?自然破壊は?
今や徴兵など多くの人間が集まらなくても少人数で戦うことができる世の中です。
ウィルス、生物、化学、ハッカー、コンピュータウィルス、電磁波、ドローン攻撃。。
考えるだけで恐ろしい。
一瞬の平和を求め、それを続ける。
皆でその努力をしていく。
これに尽きます。
新型コロナウィルスの猛威はいつまで続くのでしょう。。
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以前、メディアの取材で『閉鎖されている壬申戸籍が、なぜヤフオクで出品されるのか?』との質問を受けたことがあるので、私の知ることを書いておきます。
最初に壬申戸籍の説明から。
壬申戸籍は、明治4(1871)年の太政官布告第170号戸籍法によって、明治5年に編成された最初の全国的戸籍のことで、明治5年の干支であった壬申(みずのえさる)を取って壬申戸籍と呼ばれています。
この戸籍は、明治元年の「京都府戸籍仕法」や明治2年「東京府戸籍法」などが華族、士族、平民といった身分別に戸籍を作成していたのを改めて、基本的にすべて国民を同一の戸籍に記載したものです
今で見れば“差別的”と取られる表現がある戸籍もあるため、昭和43(1868)年 法務省は『回収して封印する』よう通達を出しました。今は市町村や地方法務局で保管され、誰も閲覧できないようになっています。
ここで?回収″しきれなかった壬申戸籍が今も存在しているのです。
『壬申戸籍成立に関する研究』(文学博士 新見吉治著、昭和34年1月発行)の中で、次のように書かれています。
明治五年編製の戸籍を干支によって壬申戸籍と称える。それが明治十九年廿年頃までそのまま用いられ、現在も戸籍役場に保管されているが、隅々その写し替えによって廃棄された原本や、下書に用いられた副本が民間に出て珍重されていた。
※原文のまま
※「称える」=“名づける”、「廿年」=“20年”、「隅々」=“細かいところまで”
つまり、廃棄された筈の原本や下書に用いられた副本が、何らかの理由で “個人宅” に保管され、今も存在しているわけです。 “個人宅” といっても、名主(庄屋)、戸長、副戸長、大地主といった、村で力があり村人を把握する必要があった人たちのことです。
私も先祖調査で、元庄屋や大地主だった家を訪ねることがありますが、その村の壬申戸籍を見たことがあります。
またホームページにも掲載していますが、私は仕事がら研究のため壬申戸籍を保管しています。
これらも上述のような個人宅で保管されていた副本だといえます。
→ホームページ http://senzo-kakeizu.com/column_jinshinkoseki
地方の旧家では、今も手つかずの古文書を見ることがあります。
どこかの個人宅の蔵に、今も壬申戸籍が眠っている、と思います。
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2008(平成20)年開業以来の事務所名 行政書士萩本法務事務所 を、2019(令和元)年9月13日付で はぎもと行政書士事務所 に変更しました。「萩本」 ではなく 「はぎもと」 とひらがなにしました。
開業当初は、許認可、内容証明作成、相続・遺言など、一般的に行政書士が主とする業務を行っていましたが、現在は 家系図作成・先祖調査 業務と 保育所開設・運営支援 の2つの業務に特化しています。
先祖調査も保育所も “ヒト(人)” に関わる仕事です。
その範囲は、赤ちゃんからご先祖様です。
このような理由から、事務所名から 「法務」 という文字をなくし、「萩本」も、やわらかな「はぎもと」(ひらがな)にしました。
もう一つ挙げると、 「萩本」 は少ない名字なので、昔から 「萩原(はぎわら)」 「荻原(おぎわら)」 「荻本(おぎもと)」 「荻野(おぎの)」 にしょっちゅう間違われてきました。今でもです。
そんなことも、ひらがなの 「はぎもと」 にした理由の一つです。
ちなみに私が持ってる名字検索ソフト『写録宝夢巣Ver.18』(2014年4月電話帳データ1621万件)での全国順位は次のとおりです。
萩本(はぎもと)381人 全国順位4021位
萩原(はぎわら)13974人 全国順位189位
荻原(おぎわら)5141人 全国順位494位
荻本(おぎもと)140人 全国順位7862位
NTTの電話帳データですので、NTT固定電話を契約してない人、情報非公開の人はいますが、傾向は分かります。
「萩本」 より 「萩原」 の方が圧倒的に多いです。
どちらも、もっとも多い県は 「群馬県」 です。
名字発祥の地(中世の先祖の地)が「群馬県」にあることがわかります。
私自身の先祖は岡山県です。
ただ岡山県には非常に少なく、先祖を辿れば群馬県に行きつくと思います。
話は脱線しましたが、はぎもと行政書士事務所 を今後も宜しくお願いします!
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今回も『新聞集成明治編年史』を見ていて、なんか面白い(?)記事を見つけたので紹介します。
記事は明治22(1889)年4月29日のもので「肥田御料局長歿す 汽車に便所なき犠牲」というタイトル。
要約すると、
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肥田御料局長(宮内省皇室財産を管理する局の長官)は用心深く、外出の際には便所の場所も予め定めるくらいの人物。
局長が汽車で移動中、(便所に入る予定としていた)静岡駅が、茶摘みの女性が多く駅の便所が塞がっていたため、やむを得ず次の停車駅、藤枝駅で便所に入った。
しかし早々に汽車が出発…
急いで汽車に飛び乗った途端、駅(ホーム)と汽車の間に落ち込み、2つの車両までは(ホームと汽車の間にあった隙間で)大丈夫だったが、3つめの車両が通過の際、下の方の突起に外套の裾が引っ掛かり、レールに引き込まれ、肩から喉のあたりまで圧せられて亡くなる、、
という記事。
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現代もホームから落下したり、ホームと電車の隙間に落ちたりする事故が起こっています。
肥田局長の事故自体は珍しいものではないのですが、この記事、ことさら「便所」を強調している点が何故か面白い。。
「宮内省御料局長官」という立派な人物でも、「“便所”が理由で死ぬ。」ということを言いたいような記事。
この人物調べてみたら、やはりかなりの大人物。
肥田 浜五郎(ひだ はまごろう)
文政13(1830)年1月 - 明治22(1889)年4月28日
?川幕府の幕臣で、勝海舟がアメリカに渡航した咸臨丸の機関長。
明治になってからも岩倉使節団理事官として欧米各国を歴訪。
日本海軍機関科士官第一号。海軍機技総監など様々な要職を歴任。
性格は分からないが、「便所〜」の記事を書かせるような人物だったのか…
なお、この便所駆け込み死亡事故が、列車内の便所設置を後押しした、とのこと。
明治時代の記事って、なんか面白い。
また見つけたら紹介します。
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先祖調査では明治時代の新聞記事を調べることがあります。
平成28(2016)年6月19日のブログでも書きましたが、たまに『新聞集成明治編年史』を見ますが、たまたま、面白い(?)記事を見つけたので紹介します。
記事は、明治16(1883)年6月のもので「女房の睾丸鑑定、殺人嫌疑晴れる」というタイトル。
内容をまとめると、
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志賀豊吉、小池定吉、鶴岡藤吉という3人が牛込門外の堀へ釣りに行ったところ、豊吉が筏(いかだ)から落ちておぼれて死亡。
警吏(警察官)が遺体を検視したところ、豊吉の睾丸が非常に膨れていたため、定吉と藤吉が睾丸を打つ、絞めるなど殺したと嫌疑。
豊吉女房のお花を呼んで話を聞いたところ、「夫豊吉の睾丸は近所の湯屋でも評判高く、このような亭主を持ったお花さんは幸福者だと、毎度女湯でうらやまれるほどの大睾丸です」と話したため、定吉と藤吉の嫌疑が晴れた、という記事。
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明治時代の新聞を追っていると暗い記事も多いのですが、記者がこのような記事を載せて、庶民を和ませていたんじゃないかな、って感じます。
昭和50年代くらいまでの社会は、困難な中にもおおらかな時代だったと思います。
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「戸籍を超えた先祖調査」の実務経験をベースに、私(萩本勝紀)のノウハウすべてを公開した本を出しました。
本のタイトルは「あなたの名前で先祖がわかる」ですが、この本は名字や名前の雑学をメインにしているのではありません。
あなたは次のようなことを感じたことがありませんか?
・初めて来た所だと思えない。
・この人とは会った瞬間から合う。
・どこかで会ったような気がする。
・あの人にはいつも上から言ってしまう。
・あの人にはどうも弱い。
・なんで外国人のような顔立ちなのだろう。
・天皇、皇室には、特別な気持ちがわき上がる。
この本を読み終えた時に、その答えが分かると思います。
下段に、本の目次を記載しましたので、興味があれば是非読んで頂ければ幸いです。
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題 名 あなたの名前で先祖がわかる
著 者 萩本勝紀(はぎもとかつとし)
行政書士・姓氏研究家・保育士
出版社 株式会社BABジャパン
発売日 2018年5月30日
金額 @1400円+税
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私はさまざまな役所から「家系図作成」や「先祖調査の方法」の講師を頼まれるのですが、この本は、講座の際にたくさんの受講者から要望があり、それに応えるものでもあります。
単なる「家系図の書き方」や「先祖調査の方法」、「名字の雑学」といっただけのハウツー本にしたくなかったため、これまでの専門家の本と異なることを主に書き上げました(自費出版本ではありません)。
目次は次のような感じです。
序章 その気持ちはご先祖様に通じている
見えない力
不思議な体験(6つのエピソード)
ご先祖様からの働きかけ
第1章 あなたと先祖
先祖がいたからあなたがいる
先祖とあなたの職業に見る共通性
「糸」とDNAの不思議
先祖代々の遺伝子
輪廻転生から考える
第2章 先祖調査という時間旅行の前に
4つの「サイトウ」さんの違いは?
都道府県名のうち、苗字になっていないものは?
「家」制度とは
家紋を知る
家に残る言い伝え
先祖にたどり着けない場合
どのような古文書を探すか
住職もいろいろ
第3章 名字と名前から先祖を知る
姓、氏、名字とは?
日本の四大姓「源平藤橘」
名字の大移動
なぜ名字は二文字が多いのか?
名字の由来を知る
明治期以降の名字について
名前の歴史
第4章 先祖調査は戸籍集めから
先祖調査のスタートは戸籍集め
戸籍の歴史を知る
戸籍謄本、除籍、改製原戸籍とは?
戸籍謄本の集め方
具体的な戸籍の請求方法
市町村の合併を確認する
戸籍のたどり方の例
第5章 戸籍を超えた調査の方法? <事前調査>
文献調査
郷土の役所に問い合わせる
博物館、歴史館、史料館、文書館などに問合せる
同姓宅に手紙を出す
お寺(菩提寺)に手紙を出す
法務局に旧土地台帳を請求する
第6章 戸籍を超えた調査の方法? <現地調査>
現地調査で行うこと
現地調査で必要なもの
現地調査の際の宿と食事について
第7章 家系図を描き方
家系図の書き方は千差万別
ヨコ型家系図とタテ型家系図
どちらの構図で書くか
どこまで記載するか
タテ型家系図の書き方
最終章 先祖を知ると明日が変わる
道は開ける
ヒトの起源と日本人の起源
日本人の先祖が生んだ文化と特性
先祖からのメッセージ
家系図作成や先祖調査の方法だけでなく、名字、名前、魂、輪廻転生、遺伝子、DNA、日本人の心と文化、といったことに着目していることがわかるでしょうか。
ご自身は何者か、ご先祖様はどんな人か、どんな暮らしをしていたのか、どんな苦難を生き抜いてきたのか…
ご先祖様とのかかわりが気になる方は、是非、手に取って頂きたいと思います。
先祖を知れば明日が変わるでしょう。
あなたのルーツを、一度、考えてみませんか?
興味がある方は、私の家系図作成・先祖調査請負人のサイトこちらも参考にしてみてください。
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